南房総三芳・村のしろうと百姓塾からの挨拶

しろうと百姓塾の再スタートに当たり、まずはこの間のご心配やご支援に感謝申し上げます。
 

 それは、某企業の社長が3代に渡り、書籍や雑誌、新聞から心に残る文章・記事を抜萃し、まとめたものです。
それは、創業者の熊平源蔵氏が社会への感謝、報恩のために昭和6年に創刊してます。
以来、戦時中を除いて途絶えることなく毎年1回発行し、全国の官公庁や金融機関を始め、地方自治体、教育機関、一般企業、商工会議所などに届けられている物です。

その130ページ弱の小冊子の名は
『抜萃のつづり』といいます。
珠玉のエッセーやコラムなどは修養・宗教・職業奉仕などから笑い・ユーモアなどの7項目に30数件の玉文から成り立っています。
心にしみる感動や喜びをより多くの人に共感していただければと社会貢献の思いが込められております。

そこに登場する・紹介される人物は、、時には暖かく、時には爽やかな大小の感動を与えてくれています。
今はやりの「金や権力などの下欲」に執着し、満足に反省や責任もとれず自覚や誇りにも縁のないような醜い情けない人間たちとはとは真逆の人達です。

そして、それには私が30代半ばに勤め先の局に送られてきたものをたまたま手すき時間手にしたのが出会いでした。
その後、手にする前に処分されることもあるので、自宅に郵送してもらい毎年確実に読めるようになりました。
唯一の30年来の愛読書です。
(*興味のある方は、抜萃のつづりで検索を)
2度3度と読み重ねたり、時には古いものも読み返したりしています。

そんな小冊子を読み重ねていくことも影響したと思うが、私も定年退職後は、余裕の時間を少しは世の為・人のために役立てる為に使いたいものだという想いが芽生え育っていたような気がします。
そして、荒れていく里山もなんとか守りたいと云う思いも合わさって「しろうと百姓塾」設立に至ったかと思います。

また、尊敬していた弓道の大先輩に勧められ入学した生涯大学で、縁あって共に2年間学んだ伊達に年を取ってないぞと云う仲間たちと共に東日本大震災被災地の宮城県東松島市の仮設住宅の人たちを励まそうと自分達で育てた野菜や集めた物資を届けける活動を仮設住宅が無くなるまで続けることが出来たことにも、その思いの根底にはこの『抜萃のつづり』の存在・影響が大きかったのでは考えてます。

 どちらの活動も、「人に喜ばれる」という喜びが付いてきたこと、そして良き仲間に恵まれたこと、また面白おかしく楽しく出来たことが続けられた最大の要因であろうかと思います。、

 10年ひと昔といわれますが、10年・20年前に比べまた私が育ったころに比べ色々なものが大きく変化しました。
子供たちを取り巻く環境や千葉の田舎の里山も同様です。

「嘘をついてはダメ」「人を騙してはいけない」「人に迷惑をかけるな」「困ってる人が居たら助けろ」などなど子供を育てるのに30~40年前なら当たり前に当たり前のこととして学校や家庭で言われてたような気がしますが、昨今の風潮はそのような日本人らしさがないがしろにされているような気がします。
そして、公園なども子ど達が遊ぶ処の「○○禁止」が多く、そして一人ゲームやスマホと過ごす時間が多くなる一方のようです。
「のびのびと、仲間とみんなで楽しく過ごす」場所や時間が少な過ぎるのではないのか?
明日の日本を託す&背負っていく子供達には「のびのび」とがんばって欲しいものですが・・・。


 しろうと百姓塾も「とりあえず5年くらいは・・・」が、皆さんのおかげで11年間も継続実施し出来ました。
私の体調不良や老齢化や抱える持病による体力の衰えに加えイノシシ被害の増大等もあり2017年3月で閉塾を決めました。

が、一部塾生さんから「タケノコ掘り」だけでも、「梅もぎ」もの要望があり・・・その程度なら、「まぁ、いいか?」の気持ち&「御礼奉公」的気分で1年間イベント的にやってみました。
が、しかし、最近はこの集落も、イノシシの駆除近所さんの増で捕獲数も増(この1年で50頭超え)・・・被害も縮小化しております。
そして、不調だった私の体調何とか回復したこともあり、山に登り草刈りをすることが健康維持のために好結果になってるようですし・・・。

結果として、イベントなどで来訪頂いた多くの人に喜ばれる喜びが古希まじか老人の生きる&活きる張合いになってくれているようです。
とはいえ、今までのような月イチの月例会を実施し皆で野菜を育てることまでは体制的に難があるので、里山の恵みをありがたくいただくような 「しろうと百姓塾流イベント」を主に取り組むこととしました。

筋力・体力&気力が続く間、続けて行きますので今後もよろしくお願いします。


                                                                                          2018年8月






しろうと百姓塾設立時::H18(2006)年3月


 私たちは、親の代までは専業農家でしたが、私たちの代になり兼業というよりか日曜百姓程度の農家になってしまいました。
そして、親達が高齢になったり、亡くなったりで畑や田んぼや山が荒れだしています。
先祖代々、汗水たらしながら耕し続けてきた貴重な財産である里山たちです・・・・・もったいないことです。
(最近では、イノシシも出没しタケノコ山や畑や田んぼを荒らしだし、里山の荒廃に拍車がかかって来ています。

 そんな田畑や山を活用して百姓ごとを楽しもうと、毛の生えた程度の百姓である私たちで「素人による百姓塾」をつくって11年目の春を迎えようとしています。
 発足当時は、小学生が被害者となる事件が相次ぎ、しかも加害者も子供であったりしてやるせない殺伐感を感じていました。
少年犯罪は、被害者・加害者の家族を巻き込み悲惨です。
また、いじめが原因の小学生の自殺のニュースも多くありました。
豊になった日本なのに、なんでこんな日本になってしまったんだと思っていました。
(事態は年々深刻化してるように感じています。)

 そんな気持ちを心の片隅に持ちつつ、自然環境に恵まれた里山で塾の仲間たちと農業体験を楽しみながら、こころ豊かな・人にも自然にもやさしい、そして何よりも家族や自分を大事に出来る子供づくりの一助になればいいかなという想いもあり、原則・小学生のいる家族対象に呼びかけ6家族と受け入れ3農家、全部で30余人でスタートしました。
 (22年度は、9家族)(23年度は5家族)(24年度は6家族)(25年度は9家族)(26年度は7家族+休会2家族)(27年度は7家族+休会1家族)(28年度は、5家族)
 

 
 月日の流れは速く、試行錯誤しつつながらも、テーマとした《遊び心と野菜作りを楽しむ》ことが出来た10年間かと思ってます。

     参加してくれてる塾生家族との、親戚とご近所の中間のようなこころよい距離間での交流にも満足感を感じている私たち塾の住人です。
                                             
                         


  なぜ、百姓塾なのか?                                

 
私たちの塾は、単に有機&無農薬(原則)の野菜たちを育てて収穫する喜びを味わうのみならず、たとえば収穫した大豆で手づくり味噌を作ったり、餅つきやコンニャクづくりも、春にはタケノコ堀り・夏には梅もぎ、秋には栗拾いを楽しんだりと、、私たちが子供のころ親達に教わった(手伝わされた?)諸々の百姓仕事や、里山の資源・財産をも遊びながら&楽しみながら守っていきたい・・・と考えて諸々の活動に取り組んでいます。
ですから、農業体験塾ではなく《百姓塾》なのです。

 そして、4年目からは、収穫して余ってしまう野菜【ジャガイモ・大豆】を直売所(南房総富浦のお百姓市場・道楽園)で販売し、その収益を飢餓に苦しむ国の子供たちの救済に少しでも役立ててもらうべく、Unisef国連UNHCR難民援助活動団体に寄付することにしました。

 (しかし、これから当分の間は、被災地応援用に変更)

 23年には、宮城県東松島市の被災地仮設住宅に農産物等を届ける支援ツアーに参加し、ジャガイモ130Kg・大豆30kを届け大変喜ばれました。
24年からは、前年のツアーを譲り受けた千葉県生涯大学・南房学園33期OB会(会長は岡本)の東松島市仮設住宅応援ツアーにジャガイモ・玉ねぎ・大豆を提供しました。
25年26年もツアー継続・・・27年で移住が進み、仮設住宅が無くなることとなりひとまず終了・・・。
但し、鴨川のミカンは28年も送る予定で準備中。


  園芸は食べる、見る、香りや食感を楽しむなど人間の五感のそれぞれで幸せを味わうことが出来る。
なかでも太陽の下で筋肉を使い、額に汗し、何物かを創造する、全人間的な活動はすばらしい。
脳の刺激的活動だけが増大していく現在の文明・文化のもとでは人は衰弱してゆく。
人間性を取り戻すのに絶好の機会となるのが園芸であり、そのための学習もいろいろな角度から取り組むことが出来る。



『農業と園芸と文化』についてより



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