TEL. 0470-23-7261
〒294-0038 千葉県館山市上真倉1709
当院は「南総里見八犬伝」で知られる安房里見氏の九代目・義康公の逝去に伴い、義康公とその御墓を供養する菩提寺として建立されました。義康公の弟である玉峯和尚が初代住職。
JR館山駅前にある「震災観音堂」は、慈恩院とは大きく離れたところにありますが、当院塔頭であり、大正12年関東大震災の没故者追悼・世界平和祈願として建立され、安房国礼三十四観音霊場・番外札所として多くの方に御参拝いただいています。
宗派 | 曹洞宗 |
開祖 | 道元禅師 |
本山 | 永平寺(福井県)、総持寺(神奈川県) |
本尊唱名 | 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ) |
慈恩院本尊 : 千手千眼観世音菩薩および聖観世音菩薩
観音堂本尊 : 佐渡渡来丈六大観世音菩薩
清国伝来聖観世音菩薩および阿難尊者
當院開基 龍潜院殿傑山芳英大居士(里見九代義康公)
-歴代住職-
當院開闢 玉峰梵的大和尚(里見義康公・弟)
當院開山 月舟周筑大和尚
二世 利眼全益大和尚
三世 喜峰天悦大和尚
≪中略≫
廿世 愚轍亮欽大和尚
廿一世 大店瑞芳大和尚
廿二世 仏岩卍溪大和尚
廿三世 巨海潜龍大和尚
現住職・廿四世 知音寛道和尚
副住職・廿五世 大應康順和尚
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義康公の弟である玉峯和尚が天正9年(1581)に創建したと伝えられ、城内に祀られていた里見氏重代の持仏である千手千眼観世音菩薩および聖観世音菩薩(ともに運慶作)の両菩薩像を本尊として移し、里見城内の持仏堂としたのがはじまりであると伝えられています。
この持仏堂は天正18年(1590)義康公の館山築城竣工に当たり、館山城南面の姥塚(うばづか)の地(現在、10代忠義公および八剣士の供養墓のある所)に移され、天正19年7月、寺領として4貫800文を寄付されました。
慶長8年(1603)11月16日、義康公が31才で逝去されるや、現在地を義康公の墓所として城内の持仏堂を移築し寺院を建立、名を「籐谷山・慈恩院」として「義康公菩提寺」と定め、義康公を当山開基とされました。
秘仏として義康公が常に所持していた「捻持仏」が伝えられています。
又、里見氏研究の基礎となる「里見氏系図」、義康公自筆の寺領書など多数の古文書も伝えられています。
10代忠義公の慶長15年(1610)の里見家分限帳には「北郡(平群郡の別称)正木村12石持仏堂慈恩院分、山下郡(安房郡の別称)沼村3石持仏堂」とあり、合わせて15石の寺領が与えられていたことが知られ、寛永13年(1636)11月9日、徳川3代将軍家光公からも寺領15石の御朱印状を下付しています。また、歴代将軍からも同じ朱印状が下付されていました。