十一面観音と共に歩き布教
 殺伐とした現代に、『互いに慈しむ心』を思いおこす事が出来ないだろうかと
考えました。身近なボランティア活動に参加するなどしているうちに沸々と湧
き上がる気持ちがありました。

 大きな問題だけでなく、身近な諸問題に関しても『己を後とし 他を利する』
という善意が根底にあってこそ取り組めるという根本的なことという思いが
原点に広がっていくようでなければならないと考えました。

 「善意を家族・友人などの身近な輪から少しずつ広めていくしか方法はない」
と思いました。仏教がメディアもない時代にどのように広まったか省みながら
考察してみました。貴族仏教から大衆へ広まるにあたり、優婆塞(うばそく、国に
登録していない出家者)が各地で布教を行ったのです。

 つまり、小さな善意の種を全国に蒔いたのです。それが輪となり仏教国日本が
できたのです。だとすれば、各地を行脚し布教を行うのは大きな一歩になるの
ではと発心しました。すると、数多の仏縁が集まり、小さな輪が広がり始めました。
昔は高徳院にあった観音様と観音信仰を復興させたいという私の気持ちとあい
まって仏縁が重なり、そして広がり…

 「大八車に安置した観音様と供に、京都から千葉県南房総市まで
 行脚し、布教する事を住職の自己目標と致しました」

前行を行い、現実の厳しさを感じ、まだまだ檀家様のご理解やお寺の基礎作りが
足りないことに気づかされました。いつになるかわかりませんがあきらめず精進してい
く所存です。

仏縁に従い、京都から南房総コ院まで観音様と共に行脚・布教の求道は辛く
険しい道である事を覚悟し、ここに発願致します。
どうか皆様の御理解と応援をいただければ幸いです。     合 掌

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