〜千倉観音長距離巡行〜

今、この時代になぜ歩くのか…
千倉観音千倉町内巡行募金行脚
 
 

 高徳院は里見氏の援助も受け500年の間に国家安泰・万民豊楽を願意に仰ぎ、村人と命がけで各地の国分寺や観音霊場を巡礼する廻国(かいこく)修行を行った記録が残されており、十年余りかけてその頃の十一面観音像を復刻させ大八車に安置した観音像と共に長距離巡拝を目指し、四十年ねかせた大木で観音童子を作り、像の体内に願い札を集めながら童子の姿から大人の観音像の姿に彫り進め、観音像が成長する度に町内一円の出開帳を行ってきました。ついに令和元年5月1日に本堂内陣工事が完成し観音宮が作られ、来る令和2年の正月初日の出祈祷には京仏師冨田珠雲氏により化粧が施され、光背と蓮華台が設置されます。年内に観音像は体が細く丸みを帯びた体に仕上げ彫りされ、背が伸びて美しい大人の女性の姿に成長したかのように見える予定です。
 高徳院は川口村の時代から村に支えられ祭事が行われる小さくも伝統のある寺院であり、今回も区民と遠方から駆け付ける参拝者に支えられ町内巡行が行われます。長きにわたり集めた願いの数も1500を超え、いよいよ大八車に千倉観音を安置し長距離の旅に出ることとなりました。 (伴走車運転など協力者随時募集致しております)

 出開帳(でがいちょう)と言って市中に観音様をお連れして募金活動等の社会貢献を行うための観音像を作りたいというのが10年以上前からの目標でした。

私たちはきっとそれぞれですが、願い事が原因で人間性が作られ、多くの願いが叶わないのに幾度も多くの願いを立て続けます。その願いに引きずられて道が定まることは常日頃多くの人生に触れていると実感できます。世の中の何が栓ないかといえばその願いが容易に叶わぬところかもしれませんが、たいそうに言えば、時勢の混沌や貧困、唐突の病等の願いが叶わぬ多くの理由のなかで一つ二つと願いを形にしてきた結果が今の娑婆のようです。きっと崩れても崩れても、ものを積み重ねることを醍醐味と言い、これは容易にものが成せない娑婆にしかないものではないでしょうか?

私はたまたま祖父母が男児を成せなんだので、祖父の養子の様に育てられ実直で優しき祖父の背中を追うように出家しました。若くして道を誤り苦労することの方が多かったですが、小さな願いも大きな願いも願いが人と道を定めるのであれば、私のお寺の先人の背中に報いるように生きれば道が開けると信じていました。しかしながら、一代空いたお寺はお恥ずかしいことにやはり皆様の会社と同じく迷走します。年間行事は衰え、葬儀や供養で得た寄付金は私が京都で研鑽を積んでいる間に行方不明となっており、寺院会計を先ず公開性にして皆で話し合い整備を行おうとすると莫大な費用が掛かることがわかり非難を受けるところから始まりました。貯金も底をつき、そこで多くを失って実感します。お寺の先人の背中に報いるように生きるならば、先人は豊かではなく物もない時代にどうやって道を作ったのだろうと考え、古文書やらを紐解き驚きました。今思えば初めて社会に出て父の背中にひたむきさを実感でき、子育てに悩みはじめて母のありがたみを実感できたかのような感覚かもしれません。

先人の記録には、命懸けで村人と地方の国分寺と観音霊場を歩き、自分のことではなく多くの人が願いを立てるように努めていたことが石碑や古文書に記されていました。先人の背中に熱きものを感じ、大きな建物を建立することができなくても、幾人か命を落とすのにも関わらず国家安泰を祈る背中を見せて下さった方々がいたのであれば、当時の仏像を一体復刻し先人と同じように背中に背負って市中を歩く住職を目指す決意を致しました。

倦む(うむ)ことも多くありましたが、私が歩くその背中が人々の願いを立てる縁になり、きっと各々が険しき娑婆で道を定めるであろう。いつの時代も娑婆は脆く(もろく)願いは容易にかなわぬものでも道を定めることができ、死がその背中に追いつくまで一つ二つは形となるだろう。その背中に報いんとその続きの三つ四つをまた幾人かが悩みながら追いかけるとしたら私の密にした志はなんと面白くなんて醍醐味なのだろうか。血縁や雨風しのぐ所で伝統は継承されるのではなく、伝統はこうして繋がるのだと思いたち、決定の心をもって奮起したのがこの度の市中を歩かんとした経緯です。

 
歩いている姿を見かけたら気軽にお声がけ下さい。(安全な所で停車させて頂きます)
観音様の体内に納める
願い札に願い事をお書きし、お福分け千社札(裏がシールに
なっています)
をお渡しします

出発前に高徳院にて道中安全を祈願最後は区長による「そこよしここよしおっしゃんしゃんのしゃん」の掛け声で皆で扇子を叩いて出発となりました。

千倉町内巡行風景
多くの方に参加して頂きました

令和元年5月4日、魔事無く終了致しました。

お福分け
 人から人へ思いを送ることにより、身辺者の幸を互いに自らの理想に入れ込み家族や仲間のために汗を流す事が人生の醍醐味につながり、更にそれらの広がりを願うのがこのお札のご利益です。1枚は自分に、残り3枚は心を込めて身辺者にお福分け下さい。 
 

恩送り…日本には先人に受けた恩を次の世代や周囲の人達に送る「恩送り」という美徳がございます。
 善意が社会全体に広まるという文化が身辺者や家族間で当たり前に行われ、日本の価値観として広まり、世界に誇る独特の道徳が作り上げられました。左の恩送り図のように他に幸せが広がる事をご祈念致します。

願い札
 観音様の体内に納める願い札を集めております。道中にてお話しさせて頂いた方には下記画像の願い札に願いをお書きしております。真ん中に切れ目が入っているので願い事は当院でお預かりして観音様の体内にお納めさせて頂き、残りの半分はご自身のお守りとしてお持ち帰りください。
 

当日は区長をはじめ、川口区民有志の皆様、また他地区・他府県からの御協力者の方々のおかげで大変賑やかな巡行行脚となりました。この場をお借りしまして御礼申し上げます。
 また、停車場所や道中にてお声がけ、募金をして頂いた皆様にもここに厚く御礼申し上げます。

*募金額は62,386円でした。
 
*募金は全て東日本大震災で被害を受け、未だ帰還困難者が多数いる福島県双葉町災害対策本部へ送られました。

大八車について