21世紀をまたにかけた選手達。

 1999年、2000年、2001年と安房高野球の「夏」を舞台に繰り広げられた21世紀をまたにかけた三部作。
同時に、安房高100年の歴史をかけた「連綿」をテーマに実直にグランドを走る選手達の姿の一片を描きました。
その夏、その時に、一年を振り返り原稿を記しています。
少年から青年に移り変わろうとする「高校3年生」の姿はユニホームを通じて、「成長」の確かさを訴えてきます。
ベスト8で甲子園出場した柏陵(甲子園ベスト8)に敗れた1999年夏。
ベスト16で、何度も甲子園に出場している市立船橋に敗れた2000年夏。
3回戦で、前年度全国準優勝の東海大浦安に敗れた2001年夏。
勝った試合よりも、負けた試合のほうがより鮮明であるのは「高校野球」独特の世界かもしれません。
それでも、この3年間だけでも、夏に8勝。
やはり同じように努力を重ねてきた各チームの千羽鶴や願いが込められた自チームの想いが備わったお守りが、
託されて連なって甲子園まで届いていることも忘れてはいけません。運良く勝ち残るのは全国でただ一チームなのです。

たくさんの時間を共有してきた選手こそが知り得る「仲間たち」への感謝の心、の醸成も見逃せません。
これは、純真な子ども達だからこそ芽生える、誰も踏み入れる事のできない圧倒的な領域です。
何を大人が言っても、大人が深く物事を考えても、
子どもたちのこの実直なまでの連携感は誰にも邪魔することはできません。
野球というスポーツは、他の多くのスポーツと異質な面を数多く担っています。
攻撃と守備がはっきりしている、時間制ではないこと、これだけでもおのずと練習や試合にたいへんな人数を必要とするスポーツです。それを仲間たちで共有し、手伝い、分かち合う。すべての選手が活躍して、はじめて、あるステージでの勝利が約束されるのです。

心に変化が、生活に変化が、未来を考える、体ができてくる、ほんのわずかな間に、それまでも、これからも経験しにくい事柄を次々に体験していく高校野球の選手達。
「野球」というスポーツの良い集団性をつぶさに体現する、ふるさと・南房総の子どもたち。
汗をかいた経験が人生の大きなアドバンテージになることを期待し、願っています。

夏の大会は、一年を通じて培った力を魅せる発表の場。そのたった2時間あまりのために行う毎日の修練は、その本人達にしかわからないし、ともすれば、本人達にも感じにくい。あえて、説明するなら、「快打洗心」という言葉で表現される白球が創り出す美しいほんのわずかな瞬間に身も心も奪われてしまうからでしょうか。

走り続けて欲しい、未来を司る選手達よ。
願いをこめて、ありがとう。

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