”それぞれの夏”

  1999年夏

 安房高野球部・Aシードから甲子園を夢見て

平成11年春から夏、数々のドラマを生んだ「天台」で、新しい夢の歴史を我が後輩達が作った。

 春の大会で、安房高野球部は連日の接戦をモノにし、奇跡的な勝利の連続で一気に準決勝まで進出。専大松戸に敗れたものの、夏・Aシードの座についた。安房高野球部48年ぶりのことだった。
 今夏を戦った3年生は10人。一昨年13名、昨年度12名、今年の2年17名、1年13名などと比較すると少ない部員数。1年生からベンチに入った行方、高見、金木も、3人とも170センチに満たない小柄な選手。当然他の選手達も2年半前は、際だったようなことはなかったように思える。
 春の好成績には、中心に大型の2年生があったからという声もあるが、果たしてそれだけであろうか。
 
 われらが夏の選手権を思い返して欲しい。
 「負けたら終わり」 「負ければ明日からグランドで練習はできない」
 経験したモノ、高校野球を誇りとするものしか分からないあの、夏の日。2年半の間、ひたすらボールを追い続ける。3年の春の大会を迎える頃になると「ああ、このチームと、この仲間とグランドにいられるのもあとわずかだなあ」という思いが頭をかけめぐる。この頃になると必ずそれぞれの顔つきがぐっと引き締まるようにできているから不思議だ。高校生3年間というリミットがあるからこそ、「野球」というスポーツが独特の熱をもった「高校野球」の世界にかわるのだ。
 『限定商品』?そこにチームの魅力と高校生の魅力が、かくされている。

 昨夏、安房高は、校歌を歌うことなく敗れた。14年ぶりのことだった。
 相手チームの校歌を聞き、ベンチの前に佇んだ当時2年生だった選手達は何を思ったか。新チームとして悔しい思いを晴らしたい一心で、がむしゃらに野球をやった。しかし、秋、2本のヒットが本塁打で、予選で敗れた。苦労の末、敗者復活で得た県大会も、1回戦を勝ち喜びもつかの間、2回戦でノーヒット・コールド負け。完膚なきまでにやられた。
 「同じ高校生なのに?」使い古されたセリフが、競争力に乏しい南房総の選手達の心にはいちばん響く。複雑なことを排除し、基本のくりかえしに終始した。
 
 冬を越えた。
 技術はさほど、変わっていないように見えた春。強いていえば、走れないから打つしかない。投げきれないから継投する。そんな謙虚な気持ちが「一戦必勝」の背水の陣で臨ませた。結果、勝利の味を7度味わい、校歌を4度歌った。トップシードを得て、ここのところのガマンが一気に爆発したかに見えた。しかし・・・。
 春の大会後すぐの南部大会。左右のエースを起用しながら、志学館にコールド完封負け。またしても、屈辱。
 「県立の普通校だし、春は勢いにまかせて勝ったようなもの。夏は、Aシードでも1、2回戦でコロリかな」という声も多かった。それは、とりもなおさず、これまでの安房高野球部の球歴、体質ともいえよう。しかし、今年は、屈辱と苦悩のはざまにたたされ、Aシードの思いを確かめる術や時間も持たずに5、6月も淡々と、黙々と練習をした。少し騒がしいな、と気づいたのも、6月18日の抽選後、例年よりも新聞などの取材が多かったことくらいだった。

 いよいよ熱い夏を迎えた。初戦から好投手を擁する難敵。初回に先制すると、きっちりとした投手リレーで逃げ勝った。続く3回戦に勝利したが、まだ全開感はない。なぜだろうか。
 4回戦はリベンジを果たすべく八千代との対戦。この試合がチームのキーポイントだということを選手が知っていたからだ。あの雨の選手権、敗北の日から1年がたったのだ。ここを越えないと、いつもの安房高ではないか、と揶揄される重要な一戦。さらにもどかしさの要因に、いまだヒットがでていない、主将・行方の苦悩によりエンジンがかからないことだ。果たして?。
 ゲームは、昨年の借りを返そうと、序盤から猛打炸裂。4番・石井の目の覚めるようなタイムリーや、3番・和田の本塁打などでゲームを完全に支配した。しかし、1本渋いヒットを打っただけの行方に笑顔はない。すると終盤、走者を2人置いて、1番行方に打順がまわってきた。ベンチにいる選手たちもこのチームで野球をやってきたんだ、という成果の瞬間が来たことを知っていた。息をのんでバッターボックスを見つめていた。相手投手の速球を巧みにはじき返した打球は、美しくセンター前に抜けて二者を生還させた。ゲームにもダメを押し、ベンチはわき返った。3試合目にして、チーム最大で待望のシングルヒット。1年間つかえていたものが、すーっと抜けた瞬間だった。行方は小さな小さなガッツポーズをした。
 「限定商品」である3年生が魅せるシーンはまだまだ続いた。5回戦、強豪・成東。百戦錬磨の伝統校に先制を許した。それでも、選手は落ち着いていた。ゆっくりとできることだけを目指し、集中打で逆転。その終盤、いつもは目立たない2番・高見が左翼席へ2ランを放つ。
 思い出す。内野の要となる遊撃手を任されながら春先、多くの試合でエラーをし、ある日もゲームを台無しにした副主将に向けて、選手全員で順番にノックを浴びせた。夕闇のグランドで、ノックを受け続ける高見。2年半こんな日ばかりの遊撃手だった。「まだまだ?」といつもグラブが挙げ続けていた。いつでも「ボクが悪いんです」と負けゲームの責任を感じていた。
 その高見が天台で、生涯で初めてスタンドに入れた。大きく飛び跳ねて何度もガッツポーズをする高見。この一発に、甲子園を視野に入れたチームとしての、力量が昇華されてきたことを感じた。
 こいつは、と思わせるプロ注目の選手は活躍するのは当たり前。鬼神の如く激しい練習をする動の主将・行方と静の副主将・高見。小柄だが、ひたむきな選手達。全員が結果がだせることが、勝利への道だ。
 やっと夢への扉が開いたようなもんだ。選手権で普段の力を全員が出せれば、とっくに安房高も「甲子園」だったかもしれないのだから。

 「俺達、強いじゃん」と思える瞬間の無かった3年生。ことごとく、敗北=試練と背中合わせだったからこそ、ひたむきさが持続した。わずか2年半の間でも、その瞳でみた試合、大会、球場、打席は同級生にしかわからない高校野球特有の「学年の重み」がある。その重みが高校野球の痛快さと悲恋を生む。凝縮された濃密なときだから、得るモノは果てしなく大きい。
 勝負の結果は、運・不運から天気まで。
 わかっていても、期待し、熱くなる野球人ではある。しかし、選手が力を発揮できる時代に即したステージ作りと変わらぬ気概を静かに見守り、伝えていくのも安房高野球人の魂だろう。

 春と夏で4度ずつ校歌を歌った安房高野球部1、2年生。その60の瞳は、一体何をみつめていたのだろうか。
 夢は、何よりひとつだけ。今、はっきりと言える「甲子園は見るモノではなく行く場所だ」と。安房高100年の歴史をかけて、戦いは今日も安房高のグランドで起きている。春のセンバツへ向けて?夢の扉をノックしながら。
(レポート/OB ・K)

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