2000年夏

 甲子園は遠かった。

 希にみる逸材と謳われた和田・石井という長距離砲二人を擁し、彼らが2年の春から、県大会ですべてベスト8以上の成績を残し、99年春にはベスト4、99年秋にもベスト4という快進撃。左のエース石崎、三塁手で副主将の加藤、リリーフで外野手の中野と経験豊富な選手に加え、新チームになるとすぐに夏の甲子園を見学に、秋には関東大会へのイスを懸けて連日の決戦、春には早実など強豪校との練習試合など、まさに本校100年の歴史をかけて甲子園への道へ挑んだこの夏。
 しかし、7月23日、5回戦千葉マリンスタジアムで、市立船橋の強打の前に屈した。

 1999年7月22日、甲子園出場校柏陵高校の前に打線が沈黙。夢の道は閉ざされた。素晴らしい3年生の後を引き継いで、2年生16名の1年間のチャレンジが幕を開けた。

 加藤伸洋。館山二中出身、副主将・三塁手。最後の夏、最後の日に、自らのまずいプレーを責め、自らのふがいない三振の山に責任を感じ、その瞬間、一目をはばからず大粒の涙をこぼした。ひとりユニホーム姿のまま、安房高のグランドに戻る加藤。しかし、そのグラウンドこそ、加藤伸洋の素晴らしい2年半の軌跡を見守ってくれたその場所だ。
「悔しいけれど、仕方がありません。それでもまだ、信じられません・・・」
そういったまま、天をみつめる加藤。敗北の瞬間から約5時間経っても、現実を受け入れたくない男の言葉が、チームの本気を表していた。
この男の魂がこのチームの支えであったことはいうまでもない。

 技術は低いが、気合いは満点。上手な三年生に交じって、必死に元気を出す下級生・加藤の姿は、昨年春・夏の快進撃を支えた大きな源だった。およそ現代っ子のスタイルには合わない、ずんぐりむっくりスタイル。いつでも、必死になって走り、汗する姿は、ともすれば、強豪チームとはやされ、天狗になりがちな半島の孤高のチームを引き締めてくれた。新チームになりたての頃、打球を右手指に当て、骨折し秋の予選不出場。骨折しておいて、「痛くありません」と答える男。その後、骨折の影響か、自身初の右ひじ痛に襲われ、肘が曲がらなくなっても、「大丈夫です」と答え、「死んでも投げます」というモットーを貫こうという昔気質の男だった。
 そんな副主将の姿を見て、実力上位の選手にくらいつくにはどうするのか、ということを仲間達は感じとる。セカンドの尾谷、ショートの磯崎、ライトの早川など3年生でレギュラーを獲得しようという面々が痛んでは口々に「大丈夫です」を繰り返し、肉体的にも練習量が増え、追い込まれる春先の季節には苦しさに目に涙を浮かべながら、「いけます」「いきます」「いかせてください」と何度も何度も、地面を這い、何度も何度も立ち上がった。
 チームの熟成期を迎える六月頃には、レギュラーメンバー、ベンチ入りの大半が3年生だったこともあり、あきらめない、強い心が仲間達のなかで芽生え、青春の大きなやりとりをした青年のチームへと成長し、それが、「甲子園」に近づく大きな力の源として期待できるようになった。そして、いよいよ。

 7月16日、初戦となった2回戦・天台球場。堅くなった選手を解きほぐす4番石井の豪快な先制スリーランで幕を開け、2回には走者をひとり置いて、加藤。インコースのまっすぐを思いきり叩くと、打球はレフトスタンドに吸い込まれた。自身生涯初のホームラン。小踊りするようにベースを一周する加藤。その約20秒は、何よりひたむきに野球に取り組んできた男の素晴らしく、美しい瞬間だった。しかし、その一週間後には、加藤4三振という屈辱とともに、チームの「甲子園」という道が閉ざされていく。

 7月23日、夕刻にさしかかったマリンスタジアムに胸に「安房」の名を付けた選手が塁上を駆け抜けていく。劣勢を跳ね返そうと、市立船橋を相手に、ゲームの終盤猛攻をかけ、得点を重ねる。最終回裏を迎えて、3点差。しかし、走者一人出れば、和田・石井・石崎につながる。今年県下に誇るクリーンアップはこれまでも瞬く間に得点を重ねてきたことを選手達は、充分に知っている。ゲームの流れが自分たちに近づいてきているのがわかる。この回の先頭打者も反撃の二塁打を放っている上野。その3球目、膝にあたった投球は「ボール」の判定。
また、流れが止まった。
 それでも、二死から磯崎が粘って、和田へ。三試合連続本塁打という大会記録を打ち立てたスラッガー・和田はファウルで粘り、好球を待つ。ここはつないで、何としても石井にまわしたいところ。スタンドも、テレビの前のファンもそれを知っている。
そして、七球目。
低めに沈む球に和田のバットが空を切った。
安房高100年の夢が、3年生16人の夢が、マリンスタジアムに散った瞬間だった。

 ただの「ベスト16」かもしれない。
それでも、約2年間、上位シードの常連になり、関東大会へあとひとつ、という試合を3試合経験し、甲子園への「距離」を、「熱」を充分にわかっていただろう選手達。
 近年は、明るい生徒が多く、負けても爽快。泣かない選手も増えてきたが、今年、市立船橋の校歌をベンチ前で聞き、多くのスタンドの声援に対して、深々と頭を下げたその時、安房高の選手たちはその場でひざまづき、立ち上がれないほどに、涙した。練習をもっと頑張れば良かった。仲間達ともう一緒にできない。高校野球によくある情念も含まれてはいるが、とにかく甲子園に行けないこと、を悔やんだ。その悔しさを感じるチーム、選手であったのだ。
新しい一歩への涙であってほしい。
3年生選手一人一人にも、新しいチームにも。

 高校野球は限りなく野球を愛する人の、入り口。
へたくそで美しくない16.17才がただただひたすらに白球を追いかけて、夢を創る。私達が通ってきたあのシーンの繰り返しであることは、変わりない。
2年半の限定された時間のなかで、1年ずつ新しいチームになる。夏休みの練習では、シートノックひとつも満足にできない状態から始まり、ケガと戦い、寒い冬と戦い、雨の日も、風の日も、朝5時、6時からの練習や遠征に明け暮れ、拙い技術が野球選手のそれへとかわっていく。選手権の日々を迎える頃には、胸を張り堂々とした自信と雰囲気のなかで、美しいグランドを走る選手が生まれ、負ければそこで終わり、という緊張感との戦いに挑戦する?。
 野球は、ボールが動いている時間はほんのわずかである。それでも魅力があるのは、広々としたグランドに流れるすべての時間が、わずか7センチのボールに集約される美しいスポーツであること。空間に存在する選手達の美しい動きに目が奪われ、投げ込まれる速球に、抜けていく力強い打球に、リレーされつながれる白球に、美しさを感じざるを得ないことだ。
 これは、いつの時代も変わらない。
 夢を巡る打球が、投球が、多ければ多いほど、その美しさに磨きがかかる。甲子園の素晴らしさはそこにある。本年、常に高いステージで競い合った本校の選手達がいつにも増してマリンスタジアムで美しく感じられたのは、その「磨き」があったからか。
この悔しさや、経験が本校の次代の伝統の礎となることを、期待して止まない。

チームにも、地域にも、OBにも、
大きな夢を感じさせてくれた16人の3年生。
夢を、ありがとう。
これからが、人生の本番です。頑張って!

追伸 甲子園大会では、本県代表・東海大浦安高校が見事に準優勝を飾りました。その素晴らしい戦いぶりは千葉県の野球人を大いに励ましてくれました。
(選手権レポート・2000年夏)

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