時は1200年も前のお話し、そう、天狗(てんぐ)がこの安房(あわ)の国くにで修業(しゅぎょう)を始めた頃のお話し。

天変地異(てんぺんちい)にいくさ、さらには疫病(えきびょう)蔓延(まんえん)する(きょう)(みやこ)から来た天狗(てんぐ)たちは、どうやって村の人と仲良(なかよ)くなったのでしょうか。

当時(とうじ)は東のお山、今の高徳院(こうとくいん)裏山(うらやま)に顔が(ぞう)で体が人間の姿(すがた)をした(よく)(がみ)さま、歓喜天(かんぎてん)が住んでいました。天竺(てんじく)のシバ(しん)息子(むすこ)軍帥(ぐんすい)の位を与えられ魔軍(まぐん)(ひき)いて流れ()きました。

歓喜天(かんぎてん)様さまはごま(あぶら)香油(こうゆ)風呂につかり、酒とあんこと大根が大好きで、特に悪さをするわけではないけれども東の海にある山に居座(いすわ)り、とにかく好きなように()らしました。

いつも楽しそうに村人と(した)しみますが、とりわけ好色(こうしょく)助兵衛(すけべえ)なので容姿(ようし)端麗(たんれい)器量(きりょう)よしなおなごには金銀(きんぎん)財宝(ざいほう)を好きなだけ与え、自分が気に入った若人(わこうど)小姓(こしょう)()えて世間(せけん)でもたいそう出世(しゅっせ)させてやったそうな。でも(きら)いな者もんや()()かうものらには七代先(しちだいさき)までたたるほどの、おこるとそれはそれは(おそろ)しい神様かみさまだったそうです。

村人らは(ふた)山奥(やまおく)修業(しゅぎょう)しゅぎょうするようになった天狗(てんぐ)たちに歓喜天(かんぎてん)かんぎてんさまのことを話しました。

「すんげえ神さまだぁけんども、勝手(かって)(ぼう)(こま)るときがあんなぁ()

天狗(てんぐ)鼻高々(はなたかだか)に「そりゃあ邪神(じゃしん)(いまし)めを知らんからじゃな。お不動(ふどう)様さまはたいそう丈夫じょうぶな『(いまし)めの(なわ)』を持っているので、その(なわ)(しば)ってもらい出家(しゅっけ)させて、(いまし)めを(さず)ければよい!」と(むら)(びと)(えら)そうに(ごう)()します。

そして大護摩(おおごま)()不動(ふどう)明王(みょうおう)を拝みます。天狗(てんぐ)不動明王(ふどうみょうおう)を拝むと、不動明王(ふどうみょうおう)魔軍(まぐん)(ひき)いる歓喜天(かんぎてん)様さまの戦いが始まります。歓喜天(かんぎてん)様さまはようやく(ばく)につきますが、さすがに(よく)(つかさ)どる無限(むげん)の力を持つ歓喜天(かんぎてん)様さまです。なかなか『(いまし)めの(なわ)』でも(しば)っていられません。(いく)度も繰り返される戦いは不動明王(ふどうみょうおう)眷属軍(けんぞくぐん)魔軍(まぐん)を巻き込み、天狗(てんぐ)予想(よそう)(はん)して大戦争に発展(はってん)してしまいます。村人は「天狗(てんぐ)様のせいで平穏(へいおん)だった村がおいねえ(ダメに)なっちまったよぉ」と天狗(てんぐ)様を()めました。

得意げだった天狗(てんぐ)は困こまりはて、大昔から千倉ちくらに住むという『千倉ちくら観音かんのん様さま』に頼たのもうと二ふた山奥やまおくの寺山てらやままで会いに行きました。

(それがし)(いっぱ) (きょう)(みやこ)比叡(ひえい)の山から下くだった天狗(てんぐ)とそうらい」

(たみ)(くさ)平穏(へいおん)()こわれ、邪神(じゃしん)歓喜天(かんぎてん)を打たんとするも争いは大火(たいか)に至った」

「どうか教えを()いたい」「どうか(ねが)わくば()(さん)じんことをぉ!」

「お(たの)みもーす! おたのみもぉぉぉーす!!」

と大きな声で(さけ)んで、(きょう)から持ってきた投天石(とうてんせき)でこしらえた(きく)御門(ごもん)が入った石のかけらを一つと

 銀色(ぎんいろ)(みが)き上げた二つの投天石(とうてんせき)のかけらを千倉(ちくら)観音(かんのん)様さまにお(そな)えして(おが)みました。すると千倉(ちくら)観音(かんのん)(さま)があらわれて

(つつし)(うや)まって(もう)して(もう)さく 天変(てんぺん)地異(ちい)にいくさ、さらには疫病(えきびょう)蔓延(まんえん)する(きょう)(みやこ)から来た御方(おんかた)よ 如何(いか)なる金剛力(こんごうりき)(いえど)万事(ばんじ)剛力(ごうりき)()ってのみ(のぞ)み、智慧(ちえ)(いまし)めを(さず)けんとするが(あやま)りなる(かな)

甲乙(こうおつ)(それがし) あい (うけたま)わってそうろうぉ」とおっしゃり、観音(かんのん)様さまは二つの(ぎん)かけらを左手に持つ(れんげ)れんげの花に乗せました。すると観音様はたちまち美しい女性に姿すがたを変えたのです。 美しい女性となった観音(かんのん)(さま)は、歓喜天(かんぎてん)様さまのもとへ向かいます。歓喜天(かんぎてん)様さまはすぐに戦いをやめるほどに観音(かんのん)(さま)さまに()れ込み、すぐに(よめ)にとることとなります。そしていよいよ初夜(しょや)を迎むかえます。千倉(ちくら)観音(かんのん)(さま)さまは「仏教徒ぶっきょうと一人ならすべてを(ささ)げる(ちか)いを立てています。」と話しました。

歓喜天(かんぎてん)様さまは「喜んで仏教(ぶっきょう)入門(にゅうもん)の手ほどきを()う」と言うので、観音(かんのん)(さま)さまは天狗(てんぐ)から預かった一番大きい(きく)御門(ごもん)が入った投天石(とうてんせき)を一つ歓喜天(かんぎてん)様さまに授さずけます。さすがに(かしこ)歓喜天(かんぎてん)様さまです、一晩ひとばんのうちに仏教の神髄を悟す。
仏教の神髄(しんずい)にふれた歓喜天(かんぎてん)様は

(われ)は今まで『(よく)』という無限(むげん)()しき力を持って生まれたとばかり思うとったが、そもそも(せい)(じゃ)も、(あく)(ぜん)もない、全てが本来(ほんらい)(きよ)らかな(ひじり)じゃったのじゃ 全ては願いをいかに立て、いかなる(おこな)いを()なそうとするかにあるのじゃ

とおっしゃり、(よく)の力ちからを「(たい)(よく)」と(あらた)め、名前も聖天(しょうてん)(あらた)めて観音(かんのん)(さま)万民(ばんみん)()(らく)誓願(せいがん)を立てました。

歓喜天(かんぎてん)様は「(たい)(よく)よくを()るは(これ)清浄(しょうじょう)なる(かな) ()(かな)善い哉 大安楽(だいあんらく)」とおっしゃり民草(たみくさ)(こころざ)しや商人(しょうにん)大願(たいがん)(かな)える(ふく)(かみ)となって強大(きょうだい)なお力を(よろこ)んで(たみ)(くさ)のために使い、村人に()ててもらった(やしろ)観音(かんのん)様さまと末永(すえなが)(くら)したそうです。

その(やしろ)の周りではいつも子供たちが遊ぶようになり「しょうでんさま」と親しみをこめて()ばれるようになりました。

聖天(しょうてん)(さま)に酒を(そな)えれば強者(つわもの)のぞろいの眷属(けんぞく)()て、あんこを(そな)えれば災難(さいなん)退(しりぞ)け福を呼ぶ、二股(ふたまた)の大根を(そな)えれば良縁(りょうえん)(めぐ)まれ、夫婦(ふうふ)円満(えんまん)子宝(こだから)にも(めぐ)まれ、子孫(しそん)繁栄(はんえい)御利益(ごりやく)にあずかり、ごま油の香油(こうゆ)風呂(ぶろ)ぶろを()けば(あきな)いは大財(たいざい)()し、どんな願いも無限(むげん)の力で(たす)けてくださるそうです。

さて、(はな)(ぱしら)を折られた天狗(てんぐ)はというと、、、

(あらそ)いばかり続く(きょう)(みやこ)に住んどったので、智慧(ちえ)(かたな)(いまし)めばかりが(かなめ)と考え、(じゃ)(はら)わんと(しゅ)(ぎょう)()()れこの地に(なが)()いたのだが、ワシはまだまだ未熟(みじゅく)じゃった。この(ゆた)かでおおらかな村人たちは(かみ)邪神(じゃしん)分別(ふんべつ)もつけずに()らしとった。邪神(じゃしん)とワシらが()(かみ)(がみ)慈愛(じあい)慈悲(じひ)を覚えれば誓願(せいがん)を立て大願(たいがん)()む。無限(むげん)(よく)大願(だいがん)()ければ栄達(えいたつ)(いた)(こう)()す。聖天様(しょうてんさま)邪神(じゃしん)などと呼んどったのはワシだけじゃった。ワシは人が()いになった。安房(あわ)の国が()いになったわ。」と言って、この(やしろ)が立てられた東の山を(しょう)天山(てんざん)名付(なづ)聖天様(しょうてんさま)さまに(わた)し、(ふた)山奥(やまおく)寺山(てらやま)()久保(くぼ)高徳院(こうとくいん)を建て、時々(ときどき)村人(むらびと)智慧(ちえ)をかして川口村(かわぐちむら)(まも)るようになったそうです。

・天狗が不動明王に頼み、欲望の「無限の力」を御利益とする神様と
闘い、その神さまと観音様が結婚して福の神となった話