大聖歓喜天

聖天様については様々な逸話がございます。
どの様な神様かと申しますと生まれた頃に父シバ神との戦いの逸話が
あったり、魔軍の長であったり、お力は多大なものとされますが、
元は邪神であり、まず村中の肉を喰らい尽くし、次に村中の牛を
喰らい尽くし、次に人肉を喰らう様になり、いよいよ手が付けられ
なくなった時、十一面観音様にすがったところ美しき天女に姿を変え
聖天様のもとへ行き性欲を満たす代わりに仏法をさとし十一面観音様
のもと仏法守護の天部の神となったという説話があります。
 
この事により聖天様を御祀りする時は十一面観音様と対に御祀り
する事や元魔神である事から粗末にしたり、修法を始めて途中で
やめたりすると聖天様は祟神となり七代先まで祟ると云われます。
また、修法に成功すれば一代にして七代分に匹敵する程の福徳を
与えられると云われます。
多くの僧侶は姿を見れば修法しなければならない事から寺院の奥に
封印したままにしてしまう事が多いほどです。修法の伝授ができる
阿闍梨も大変少なく、伝授して戴ける方を探し受けさせてもらうのも
大変困難なのです。
昔話というのは桃太郎や花咲爺さんの様に伝えたい事を必ず秘めて
います。この逸話は尽きる事のない煩悩のエネルギーは広大であるが
それを願いの成就の為に用いればことごとく成就の道に進むという
意味を成します。「煩悩即菩提」と表すとわかりやすいでしょうか。
もし、人より優れた力があるとすれば、それを如何に用いるか、
そして、社会に如何にして活かすかという課題をわかりやすく示した
逸話と云われます。
年を重ねるごとに社会的責任が大きくなってきますが昨今では
社会貢献を成し遂げてから来世に渡ろうというよりは如何にして
自利を成すかしか考えない方が多いようです。
他を利して自利と成る思いを持つきっかけと成れば幸いです。


「住職より」

『*欣求の志、切なるべきなり。例えば重き宝を盗まんとすれば高きも
射つべし、深くとも釣りぬべし正法眼蔵随聞記』
*欣求(ごんぐ)・・・よろこびを求める事