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画家の宿

房総半島の太平洋沿岸の各地には、絵のために自然が造形したような変化に富む景観が多い。なかでも鴨川市波太海岸は、日本洋画史の上では無視できない写生地で、画家達のさまざまな原風景を秘めている。

波太海岸が画家に注目されスケッチされたのは、意外に早く明治十九年である。今から九十九年前になるが、日本近代洋画界の先駆者浅井忠が、三十歳を迎えた秋のはじめの房州旅行の途中で、この波太海岸に立ち「波太海岸」を先駆的にスケッチし、現在、千葉県立美術館に収蔵保管されていて、写生地としての波太海岸の歴史の始まりを実証している。

私は昭和四十九年に波太海岸の探訪調査を始めたが、本格的な写生地になったのは大正二年からである。浅井がはじめてスケッチしてから二十数年を経た時代だが、突然二人の画家が旅館もなかった波太海岸を訪ねている。二人とは浅井の系列に属する太平洋画会に所属した石川寅治と中川八郎である。仁右衛門島のある波太海岸の民家に泊まり、海景と対話しながら写生したことはもちろんだが、特に石川の「港の午後」と名づけた作品は、出品した大正二年の第七回文展の洋画部門で二等賞を受けた。こうして一躍舞台になった波太海岸は、画家たちに注目され、三重県大王町の波切海岸と並び、いつか「西の波切に東の波太」と呼ばれる写生地になった。

歴史の追跡には現地の風に吹かれることが大切で、大正二年に二人の画家を泊めた民家が判明した。江澤さんの家で当時は造船所を経営していたが、二人の画家との出会いが機縁で旅館業に転じ、ついに画家の宿になった歴史まで確認した。波太海岸の海上ホテル江澤館の起源で、日本近代洋画の原風景を秘めたこのホテルに、こうして林倭衛・林武・鈴木信太郎・曽宮一念・大久保作次郎・安井曽太郎・野間仁根と、あげればまだまだあげられる画家達が滞在して画業を展開している。

現在こうした歴史の遺産として、多数の画家達の色紙や小品が、宿泊記録の宿帳と一緒に保存されてもいる。いうまでもなく歴史上だけの画家の宿ではなく、いまなお多くの画家とその志望者が、メッカをめざすように訪ねて泊まり海景を生んでいる。最近の私はフランスのバルビゾン村を拠点にしたバルビゾン派と同様に、日本の波太派ともいうべき画業の系譜ができそうだと思っている。とにかく海上ホテル江澤館を中心にした画家達への配慮は、地域学の一大課題であることは間違いない。

何度この画家の宿を訪れたか知れない私だが、こうしたこだわりの根源には安井曽太郎の「外房風景」がある。昭和六年にこのホテルの旧館四階の部屋の北側の窓辺から、天津小湊方面を描いた海景の大作で、岡山県の大原美術館に収蔵されている。画家の宿を象徴している存在でもあり、私が自覚してきた課題の根源だともいいたい。〔昭和六十年三月〕

              房総遺産 普通の人達の文化   高橋在久

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