21世紀を歩む〜夏

現代社会の移り変わりはとてつもなく、
すばやく、早いものになっている。
インターネット、長引く不況、
社会経済の停滞、地球環境の変化…。
それでも、変わらないものもある。
変わって欲しくないものもある。
人が人として在ることの始まりは、
私たち野球人にとっては、
あの白いボールとグランドではなかったか。

「常に全力」
 我が母校の公式大会で、はためくスタンドの横断幕には「常に全力」。毎年15人程
度の野球部員が存在する現在の安房高野球部。その一人一人に「常に全力」がある。
青春の成長に向けて、全力である。今年の夏も、すべての高校野球に存在するように
小さな小さなドラマを背負いながら、南に住む大切な後輩達はグランドを走り抜けた。

 厚海勝徳(あつみかつのり)、鋸南中学出身、最後の夏・背番号12。「継投の安房」
を支えに支えた渾身の捕手である。
 この夏を戦った3年生は、入学時の最上級生が近年まれに見る大型チーム、あの和
田・石井・石崎のクリーンアップで頂点を狙ったチームであった。カツノリは、その
時のレフトを守っていた厚海ユウスケの弟である。
 入学した時に見た初めての県大会は、シード校でのぞみ、ベスト8の春。準優勝し
た千葉黎明との壮絶な打撃戦だった。その夏、最後は甲子園常連校の市立船橋に破れ
たあのマリンスタジアムの暑い一日だった。
 あれから2年。自分たちが、ヒノキ舞台を目指して、Bシードで夏の選手権を迎え
たのだ。

「ふんばり、がまん」の連続だった。
 秋、敗者復活にまわったチームは、我慢、ガマンの連続で、東京学館に逆転するな
ど、ベスト8へ進出。春は、二試合連続で3点差で迎えた8回に一気に逆転し、準々
決勝。銚子商との息詰まる延長戦は、確かな手応えを感じさせる準々決勝だった。
 とにかく粘る。
 こりゃだめだ、と思った試合も、何がなんでもくらいつく。危ない、と思ったら、
すぐに継投し、最小失点で切り抜けると、味方の反撃を待ちに待ち、「ここだ」とい
うイニングになると、かさになって攻め込んだ。小さな選手が多く、いつもと同じ泥
臭い野球だったが、ひたひたと迫り、ガマンをする野球は安房高らしさの象徴であっ
た。
 秋・春ベスト8、その前年からもそのガマンを演出する、投手起用の数々は、ブル
ペンの多忙さを示している。予選から、県大会、そして夏の大会と、投手起用数は千
葉県でもトップクラス。2年間、チームの勝利の方程式ともいえる「ガマンへの舞台」
づくりを背中で支え続けた男が、カツノリだった。秋、春、夏とブルペンから送った
投手の総数は、20数人。平均3人を数える。もちろん何かあるともう一人、というこ
とで準備をする投手がいるから、試合中にカツノリがボールを受ける数は、100球ど
ころではない。

 カツノリは、入学当初から膝の故障に泣かされた。何とか、みんなと同じメニュー
ができるようになったのは、2年生になる頃だった。同級生のライバル・馬目(まの
め)は捕球力が高く、打撃も勝負強い。カツノリは、パワーを活かして代打の一番手
まで成長をしたが、レギュラーを獲得するまでは至らなかった。それでも、チームを
支えるシゴトに邁進したのである。

「送る」
 野球で重要な言葉のひとつである。送りバント、次の打者へとつなぐ大切な行為で
ある。カツノリはそれをブルペンから行った。マウンドへ投手を「送る」のだ。
 来る日も来る日も投手の球を受け続け、試合になったら、ゲームに背を向けて、
「何かあったらこいつでおさえてもらおう」とそれこそ、「いいぞ、今日はボールが
きている」「少し早まるかもしれないぞ」「調子がいいぞ。ナイスボールだ」すべて
のボールに心地良い反応を返していく、その姿がカツノリそのものであった。
 送った、と思ったらすぐ次の投手がやってくる。仲間の誰が打ったか、どんなプレ
イが出たのか、ゲームの記憶は途切れ途切れになってしまう。それでも、勝利の行方
が気になる。勝利の鍵を握っている。また、送り出す。
一年に一度の熱い夏。
 夏、成田大谷津球場で横芝敬愛の攻撃に押される我がチームの投手達。次々に、送
り出すカツノリ。ガマンができない。打たれる。カツノリは自分のシゴトが少なけれ
ば少ないほど、チームにとって良い結果が生まれることを知っている。しかし、この
日はたくさんのシゴトが生まれた。二学年下、1年生の左腕、早川を先発のマウンド
に送り出して10分。同級生のエース・安田はすぐにリリーフのマウンドへ走っていっ
た。右腕、伊藤海彦がすぐに用意をする。右のサイドの宮久地も準備だ。全員を送り
出した最後には、「自分達の夏」の終わりが告げられた。4回戦敗退。兄貴は5回戦
だった。超えられない悔しさも加わって、大粒の涙に変わった。

 試合終了後、同級生でレギュラーキャッチャー、この試合も先制のタイムリーを放っ
た馬目がカツノリの姿を探している。
「ありがとうカツノリ。ごめんな。カツノリ。ごめん…」
 声にならない声が、いつも同じ学校のブルペンで隣あわせで、投手の球を受け続け、
プロテクターとレガースと共にしてきたキャッチャーマンとして、二人、心がつながっ
た。
 馬目は常日頃から言っていた「俺は、カツノリがいるからこそ、懸命に勉強するん
だ。勝たせなくてはいけないんだ。それが「受け取る」俺のシゴトなんだ」と。
協同。
 レギュラーとして試合に出る権利を持つことのできた馬目は、カツノリのその献身
的な姿が忘れられない。カツノリは送り出した「俺のピッチャー」を、大事な「俺の
ピッチャー」を、「勝利投手」に加工してくれるのは、あいつしかいない、と絶対の
信頼をしていた。
 ドラマを感じることができるのは、その舞台をつくるために、暑い夏も、寒い冬も、
風の日も、雨の日も、同じ時間、同じグランドで過ごした仲間達、高校野球選手だけ
のものである。

献身的な「支え」。
その献身に「感謝」する。
大切なことは、いつの時代も変わらない。
さらなるたくましい「支え」が美しい目標の到来を強く予感させるものだ。
すばらしい感謝の心が、ダイナミックなドラマを創るはずだ、と予感させるものだ。
大切なことは、
いつでも高校野球が教えてくれる。

この秋、雨中の県大会。千葉敬愛高校に完膚なきままに、破れた。
受け継いだ男達の、明日は、
毎日のグランドからしか生まれない。
連綿と続く、その歴史。
一度しかない、選手権の舞台。
迷い、たたかれ、強くなれ。
ありがとう、我がふるさとの野球人よ。
(レポート・事務局 K)