鏡ヶ浦が一望出来る
散策コースも整備
永代供養墓・納骨堂・樹木葬・霊園  浄土宗・三峰山 正林寺
正林寺と岩崎巴人画伯
野に建つ七福神と霊園
和尚の独言
千体の羅漢像を祭る安心羅漢堂
等身大 ・ 陶器の日本一 ・ 大七福神
正林寺の沿革
毘沙門天、大黒天、福禄寿、弁財天女、寿老人、恵比寿
布袋尊が、山村の緑の中に立っている。不思議な光景である
この立像は、益子から、この房州の地に移り住み
黙々と陶芸の道を極めようとしている高野次雄氏の作品である
この変哲のない大自然の大地に極楽を表現する
この霊園に来山すると、ふっと心を洗われる
 高野氏も意気に感じ三年がかりで造り上げる
人の心は勝手なもの。七福神も又然り
人間の都合を聞いてくれて守ってくれる
生死一如。地獄極楽一如。善悪一如。
心は人を佛ともするし鬼ともする。心コロコロ心次第
この霊園にふっと心を休める時に来られるとよい。
この霊園は形にこだわらない
 夫婦二人だけの夫婦墓。友人同士の墓だって考えられる
今の生活の中から墓を考えればいい。
苦が苦でなくなり、悲が悲でなくなり、一如は七福神と共に
寄り添ってくる。雨が降り、風が吹く、そして福神は踊る、心も躍る
 水墨画の大家で、画僧としても知られる岩崎巴人画伯は
中央画段で活躍、一九六六年に館山に居を移し
七七年に出家得度している
 平成元年、仏縁により寺の本堂に十六枚の襖絵を描かれたのが
そもそもの出会いの始まりである。
「安心羅漢堂」の建立に際しては、仏画を寄贈していただき
また平成四年には「平和の碑」を寄贈していただきました。
 岩崎巴人画伯も、この碑にたいし「人類の幸せだけではなく
全宇宙の平和、永遠の生命を祈願したい。
大戦で散った戦没者の冥福も合わせて祈り、
仏の心を広める画僧として役立ちたい」と語っている
正林寺としても、岩崎巴人画伯の意に応じ
世の中の物質中心の考えを改め
仏法を通じ全世界に真の平和につとめる決心である。
 大空に浮かぶ一片の雲を見るがよい。あの雲も、然るべき因縁が熱して
私たちの目の前に生じた。そのうち跡かたもなく大空の彼方に消えてしまう。
しかし目の前には見えなくても、自然現象の変転を限りなく続けて行くであろう
 人の命も又然り。あると思うから減らさぬようにと、とらわれるであろうし
ないと思うから、ほしいと執念を燃やす。人間というのはそういうものなんだ
そういうものだと、わかっているけど、わかってはいない。だから、黙って黙々と
念佛する。黙って黙々と粘土をこねる。ケロケロと蛙声二声。
 正林寺には、大串大慈住職作で約百体の羅漢像を祭る
「安心羅漢堂」がある
この羅漢堂は木造の小さな建物ですが、四段の棚には
十五〜二十センチの陶器の羅漢像が所狭しと並べられ
奥には岩崎巴人画伯寄贈のヒノキ板に描かれた仏画も
飾られている
 しかしこの羅漢堂は、本来皆様の為のものです
心に悩みを持っている人は、ぜひ一度この羅漢堂に足を運び
そして寺にある粘土と窯を使い、思い思いの羅漢像を
作って下さい作った羅漢像に思いや希望を託して下さい
その行為により皆様の心に少しでも、静寂、安心が生まれれば
幸いです
心に何等かの悩みを持つ人は、この「安心羅漢堂」を
利用していただきたいと思うのです。

 正林寺は千葉県南房総市海老敷三九〇番地に在し
「旧・安房郡三芳村海老敷」
本尊は木造の弥陀三像で、中尊の阿弥陀如来坐像(胎内仏一体)
恵心僧都(九四二〜一〇一七)作とされている。
本堂は大正十五年に再建されたものである
堂内には平成元年一月に、館山市見物の水墨画で知られる
岩崎巴人画伯が描いた「極楽の池」の襖絵十六枚が奉納されている
また、霊園の近くに立つ七福神像は、陶芸家・高野次雄氏の
作品である。
 正林寺に併設されている霊園「うららの里」は、宗派を問わず
全ての人々に解放されている。またこの地は
館山市、白浜町などの観光地とも隣接し
春は花摘み、夏の海水浴など四季を通して
墓参の皆様に喜ばれている。
 江戸時代から続く正林寺
ここには私たちが忘れていた静寂がある
普通なら空寺、無住の寺であろう
この山寺の静寂はしかし面白い
岩崎巴人画伯が襖十六枚に極楽の絵を描く
和尚は粘土で百体の羅漢を造る
裏山の頂上からは太平洋が望める
静寂でありながら何か心がさわぐ
念仏は自然に口から出てくる
蛙声・うぐいすの声の聞こえる墓地もまた
心安らぐ、うららの里

   正林寺住職 大串大慈画