西方寺について
住 所 〒294−0306 千葉県館山市坂田347
御本尊 虚空蔵菩薩
「西方寺」創建の由来
天文10年(1541年)頃、波佐間に創建された「海宝寺」が、「西方寺」の前身です。
里見九代である義康公の弟君、《玉峯大和尚》が慶長15年(1610年)に遷化 され、その菩提を弔うために、御殿の西方にあたる岩山であった現在地(坂田)の山を崩し平地として「海宝寺」が移転されました。
移転に伴い「海宝寺」の寺名を山号とし、『海宝山・西方寺』と名づけ、里見家の守り本尊であった《虚空蔵菩薩》を御本尊として建立されたのが現在の「西方寺」です。
波佐間にあった「海宝寺」の本尊《阿弥陀如来》は、その後、坂田墓地に建てられた「阿弥陀堂」(現在はありません)の御本尊としてまつられ、多くの人々の心の拠り所として、信仰をあつめました。
以上の文章は、故鈴木全龍(17世・精雲全龍)の原文を引用しています。
波佐間に住んでおられるおばあさまからは、
火事や病人が多くでたので、易で占ってもらい。「西方へ築け、」ということで現在地に移動した、という、言い伝え、もお聞きしました。
西方寺の檀家さんは里見家との何らかの関係があると思われます。機会があれば檀家のみなさんに協力を求め、西方寺の由来や、檀家さんとの関係を明らかにしていきたいと思います。
守り本尊について、
通常は公開してはおりません。
西方寺住職系図
開山
2世
3世
4世
5世(中興)
鐵州武眞 石峰月泉 朝水秀海 大圓存徹 活翁禅達
6世
7世
8世
9世
10世
佛心大教 徳鄰愚磧 安外鉄心 佛旨徹門
性翁仙海
11世
12世
13世
14世
15世
活厳仙龍 月海仙舟 仲竺仙峰 月潭圓明
佛巌卍渓
16世
17世(中興) 18世
19世
荘山 仙外 精雲全龍 雲外活龍 瑞雲峰龍
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