山東省威海市・訪問記 No.2 (Weihai)


2002/04/11/(木)

  自宅を午前4時半過ぎに出て、メンバーを拾い5時に組合を出発しました。現在7時、成田に着きました。AM9:30、JAL783便で青島に発ちます。 帰国は、14日JAL784便の予定です。 現地時間13時に青島国際空港着、空港近くのレストランで食事の後威海市に向けて高速道路を東に3時間余り時速120kmで進み、宿泊地のホテル・威海中信酒店には17時に到着した。 昨年は、丘陵には収穫直後の広大な林檎園が目に付きましたが、今回はピンクの桃の花と、白い梅の花が目に付きました。林檎は「フジ」や「オウリン」が多いそうです。梅は、日本の梅とは違い「スモモ」に近い品種のようです。桃は皇帝が好んだと言われる扁平な形の桃だそうです。何処までも続く青い麦畑では、潅水作業や中耕作業が人海戦術で行われておりました。夏作のトウモロコシの収穫後の残渣である茎葉は纏めて山にして有りました。雨が少なく冬の気温が低めの為腐らないので家庭の燃料用に使うのでしょうか?昨年と変わった光景は、北側がレンガ積みの省エネ野菜ハウス団地が新しく途方も無く広い面積で完成していたと言う事です。中国の場合、指導者による作付け計画変更により、一年で農産物市場が様変わりするような栽培作物の入れ替えが行われる事は往々にして有るようです。  チェックインを終え、18時より訪問先の会社の李社長、張副社長、喬研修生担当により歓迎会が別のホテルの海鮮レストランで開かれました。社長は36歳の若さで、とてもエネルギッシュな方でした。残念ながら宴席半ばにして、奥澤組合長は体調不良の為中座致しました。かなり重症な様子でした。残された7名で「円卓を介してのインターネット乾杯」を連呼して恙無く会を過ごして宿に着きました。

2002年04月12日(金)

  本日は、今回の視察団の半数が初めての海外旅行者である事を考慮して、中国の喜望峰と呼ばれる温暖な東端のリゾート地を堪能して頂く為、また豊かな農漁村の様子なども含め郷鎮企業によるリゾート開発の様子を視察いたしました。  「天の終わり」とも称される山東半島の先端、石島湾の赤山法華院を観光し「不老長寿の秘薬」を探索いたしました。隣接のサファリパークのミニチュア版の自然動物園視察では、強風の為、2名が悪寒に悩まされ車中に止まり見学を断念致しました。昨夜来、奥澤氏の体調は回復せず今日はホテルで爆睡状態でした。そんな中では有りましたが、小生は煙台ビールや青島ビールをたっぷり堪能する事が出来ました。北京では燕京ビールがお勧めでしたが、地元の人はアサヒ・ビールとの合弁会社の煙台ビールを自信を持って勧めて下さいました♪ ただ、私の場合確かにお酒は好きなのですが、極端にアルコールに敏感な為、量はサッパリ飲めなくてヒタスラ「不不不」と断り続けるのが精一杯でした(汗) 午後は、栄成市の聖水観を観光致しました。休憩所で無料の「聖水による烏龍茶」を頂き、その効能を期待しておりましたら「努力が必要」と、諭されました(爆) 夕食は、「しゃぶしゃぶ」だと言うので楽しみにしておりましたら、大鍋に怪しげな大魚の半身が茹っており、生臭い香りの中に羊肉をしゃぶしゃぶ(水煮)して食べました。今日は、強風の中での移動でしたので、お酒の入りが良くビールは数知れずですが、53度の貴州茅台酒も2本があっと言う間に無くなってしまい。様々な民族衣装の小姐さんによる民族舞踏ショーを前に、今回の視察中最もハイテンションな食事会となりました。
-------------威海市簡介--------------------------
山東省、山東半島の東端に位置し、三方を海に囲まれている威海市は、人口約244万人を有し、環翠区と栄成、文登、乳山の衛星市から成っており、冬は暖かく夏は涼しい穏やかな気候で、平均気温は12℃、年平均降水量は800ミリです。  威海市は、海産物、果物及び落花生の生産地として有名で、金・鉄・銅・亜鉛など30種類以上の鉱物資源を産出し、特に質の良い花崗岩が、内外に評価されています。  また、威海市は中国の「沿岸対外開放都市」の1つで、ハイテク開発区と経済開発区を持ち、絨毯・タイヤ・シルク等の生産が盛んです。また、海岸線が美しい、風光明媚な観光都市として人気があります。

2002年04月13日(土)

  昨夜の怒涛の夕食にも拘らず、65歳の太人を筆頭に皆様健やかな御目覚めでした。 本日は、メインの視察がビッシリと組まれておりました。威海市紡績服装進出口(集団)公司の子会社である威海国際合作分公司様の訪問と視察が今回の目的です。社長の李強さん、副社長の張春雷、そして担当職員の喬靖さんがズット我々に付いて案内して下さいました。李さんは36才、張さんは一年後輩。昨年まで別の会社で、研修生派遣の仕事をしていたそうです。喬さんは大学卒業と同時に長野の電子部品組み立て工場で研修生として1年働いた経験が有り昨年9月より現在の会社で研修生担当として働いているそうです。とてもチャーミングな小姐さんでした♪ 本社ビルにて事業概要の説明を受け、その後研修生の学ぶ「威海方正外国語学校」を視察し6月に千葉の酪農家に行く予定の7名の受講生と面会致しました。女性も1名含まれておりました。簡単な自己紹介を日本語で話して貰いました。威海銘泉服装有限公司、外貿富泉服装廠など2箇所のグループ企業を視察しましたが、グループ企業数は15社から成り、縫製の研修生の場合3,000人以上の自社の職工さんから日本に研修生を送り出し、機械加工の研修生の場合は威海市高級技術学校の機械加工専門の卒業生を募集する。帰国した研修生の能力により自社の発展に役立つ人材を養成する等、無駄の無いシステムとなっているのを実感致しました。酪農研修生に付いては、これとは別に農村部より人材を募集し十分な面接により適正を審査した後研修センターにて3ヶ月間の事前研修を行うそうです。定員300人程度の研修センターを持ち万全の事前教育を強調しておりました。 その間、「北方餃子王」と言う餃子専門店で昼食を摂りましたが24種類の餃子には、とても私の味覚と胃袋の容量が追いつかず全ての判別は不可能でした。 その後、絹製品の生産拠点としても有名な威海のお土産にと、李社長の案内で生産工場のを訪ね、会社が休みの為、威海市環翠区祥云綉品廠の社長室で、皆さんSILKのお買い物を致しました。私も「見るだけ見るだけ」でしたが、皆さん余りに景気良くお買い求めになるので、私も釣られて2点程記念の品を求めました♪ 市内に戻り、デパートやスーパーを回りましたが、結局今回も、チョコレートと、焼酎の御土産で終わってしまいました。中央酪農協のお二人さんは、なかなかクールなサングラスなどを買われておりました。うぅ〜ん!どう見ても本物のマフィアです(笑)  夜は、送別会と言う事で、宿泊中の威海中信酒店(WEIHAI CITIC HOTEL)のスカイラウンジで行いました。ここの支配人は、昨年私達が宿泊した、威海衛大廈(WEIHAIWEI HOTEL)の副支配人から引き抜かれた女性だそうです。毎回部屋に帰るとベットの上に赤いカーネーションが一輪と、お茶菓子の代わりに果物がテーブルに置いて有りました。チョッと?ですが、素直に女性らしいお持て成しの心として受け取りました♪  送別会は李強社長の計らいで中国語を使わない宴席と致しました。我々に対する配慮と、これから緊密な関係を築こうとする意気込みが伝わってきました。更に、乾杯は中国式に一気飲みを強要せずに日本式にマイペースで行うと言う気遣いも私にとっては救いでした。更に、後半は、中国式にテーブル上に料理を食い残さず日本式に全て平らげて貰いたいとの挨拶でしたが、この辺は日本は超不況に喘ぎながらも実際は酒宴の残飯の多さに呆れるように、質素倹約の心が忘れ去られた感じで現地の人が考える日本人の美徳が空しく響きました。

2002年04月14日(日)

  いよいよ帰国の日です。青島空港まで3時間、空港近くで軽く食事を取り駆け足での最終日でした。本日は日曜の為、喬靖さんからは、電話によるお別れのご挨拶でした。李強さんと張春雷さんのお見送りで13時に青島空港離陸しました。成田着16:45予定でしたが混雑の為上空で待機して17:05着陸いたしました。  威海市内を歩いて感じた事は、対岸が韓国である為、いたる所にハングル文字が見られ韓国との交流が盛んな事が伺われました。海産物も豊富で海鮮食堂が目に付きますが、さすがに中国風にアレンジされた味は日本では味わえない不思議な物でした。公衆電話が町中に設置されておりましたが、全てIP電話網でした。通信インフラは、日本と中国は逆転しているようでした。町では、若者は携帯電話も当たり前の普及率に見えました。ただ下町の庶民の生活は、以前のままの穏やかな、それでいて活気のある風情でした。一人で散歩しても治安は良い感じがしました。  今回も、2日目の夜に足裏マッサージを体験しましたが、どうも薬草入りの熱湯の桶に脚を入れるのを思わず躊躇ってしまいました。10年程前に熱湯を長靴に入れてしまい火傷した記憶が甦り、現在もケロイドが多少残ってますので温度には過敏になっているのです。更に、木櫛でふやけた足裏を掻いたり抉ったり、そりゃもう半ば暴力的な痛さです。彫刻等を持った爪切り師が爪を切ってくれますが、それさえも恐怖です。  でも、最後には体が軽くなり、結局の所やって良かったなぁとは思いました・・・。


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