第3回河北省鹿泉市酪農交流
鹿泉市(Luquan)


2000年09月23日(土)

朝、6時家を出た。今回は、国道410号線で岩瀬先生宅に向かった。7時15分に岩瀬先生宅に着きました。走行距離61km。館山道から東関道を利用して成田着7時15分。斉藤さんが、電車に乗り遅れたと連絡がありましたが、どうすることも出来ません。幸い出発には影響ありませんでした。今回の交流の目玉に、簡易サイロの技術を披露するために、一本29kgの2メートル幅のビニールを5本とビニールの袋をを持参したのですが、一人当たりの預かり荷物20kgのオーバー分の重量料金三万円を支払い北京に向けてAM10:15の定刻にNH905は離陸しました。 日本時間PM2:13、現地時間AM1:13北京空港着き、税関で呼び止められましたが、別にやましい事もないので無いので指示されるままにビニールのチェックを受けておりましたら、工業製品の輸入手続きが必要であり、個人使用の持ちこみ限度をオーバーしているため預証を渡されて、現物は空港留置きとなりました。出迎えの朱光鹿泉市副市長さんや農業科学院日本農業応用研究室の張孝安さんは、四方八方連絡をしたのですが今日の日程には合わず、タクシーで電車の駅まで移動することになりました。前回鹿泉市では、最終日まで両替が出来ませんでしたので、今回は空港の自動両替きにチャレンジしました。(1万円=739元5角)色々有りましたが、北京空港PM2:45出発。 西北京駅に着いたけどチケットを持った斉藤さんとはぐれてしまった。北京西駅は1階と2階の駐車場があり、私たちのタクシーは、小沢さん葛さん、と3人で1階のパーキングに到着しました。150元でした。岩瀬先生と越後谷先生は、悪徳タクシーに捕まってしまい350元支払ったそうです。正規には128元だったそうです。(爆) 4時前には駅に着いたのですが、30分くらい斎藤さんを探したのでしょうか?張さん、朱さん、斉藤さんは、2階ロビーで待っておりました。ところが、ここでも問題が発生しました。空港でのドサクサで、張孝安さんの用意した中国の飼料分析表が入っていた、書類のバックが行方不明なことに気が着いたのです。過ぎたことは仕方ないと諦めてPM17:15発「合肥」終点の真快の電車に乗って石家庄市に向かいました。前回までは、「特快」でしたので2階建のエキスプレスでした。のんびりした物で、指定席には、平然と先客がおりました。(笑)そんなことは、当り前なようで、悪びれることなく次の場所に移動してゆきました。電車に乗っても、いっこうに走り出しませんでいたが、PM5:55のやっと動き出しました。誰も遅れたことにクレームを付ける人はいませんでした。向かい合わせのお客さんは後ろ隣の席と一緒の2人の子連れの御夫婦でした。カップラーメンを美味しそうに食べておりました。PM7:55石家荘市に到着。PM8:20鹿泉市のホテルの到着。9:30より夕食10:50まで、三鹿乳業の専属獣医〈授精師)張景風さんと、三鹿乳業のドライバー、南銅治鎮共産党書記長のドライバーの3人が食事を共にした。  明日(9月24日)の日程は6:30モーニング・コール、7:00朝食。8:00から三鹿乳業で打ち合わせの予定。変圧器を岩瀬先生と一緒に使うため、私の部屋はキャンセルして岩瀬ドクターと同室となりました。本日は、11:30就寝です。

2000年09月24日(日)

AM6:00起床。シャワーを浴びて活動開始。AM7:00より朝食。8:00より三鹿乳業会議室で今後の方針や日程に付いて打ち合わせを行う。AM10:00から農家のサイロ詰めの作業を視察する。隣接地に建設中の銅治養牛基地も併せて視察した。近隣のトウモロコシ生産農家が次々に収穫済みのトウモロコシの茎葉をトレーラーやトラックで搬入していました。地域をあげての一斉の作業です。サイロへの切り込みは河南省からの出稼ぎ労働者だそうです。2〜3台の大型カッターで連続して作業が行われ填圧はトラクターがバンカーサイロ内を常に往復してました。水分調整に加水してましたが、この辺は検討の余地が有りそうです。茎葉は酪農家が500kg当たり15元で購入してました。トウモロコシ畑では麻袋やビニールの編袋に沢山の労働者が実を収穫してました。張景風さんは素堀のサイロにビニールを敷き詰めてトレンチ・サイロにチャレンジしてました。これは今回我々が低コストのサイロを普及しようとした技術そのものでした。 昼食後、休憩時間に南銅治鎮の商店街に越後谷先生の下着の補充の依頼を受けて王世偉さんの案内で岩瀬先生、葛さん等と同行した。 午後は3時過ぎより、モデル農家5軒と、三鹿乳業の獣医師等指導者と前回訪問後の問題点や飼料給与の検討会を行った。最初に岩瀬先生が前回7月の直腸検査の印象とデータを基に現在の問題点を直接モデル農家に聞き取りと考察を行い、明日からの診療についての提案をした。2番目に尾形が前回のデータを基に試算を行い改善案を提案した。3番目に小沢さんが、前回の職業訓練校の給与法をモデルに改善案を提示して、更に今後の夢の改善案も披露した。越後谷先生は、二本立給与法の小冊子を作ってきた。それを基に飼料計算の方法を解説した。小沢さんは、前回の訪問の時の意見交換のときの一番大きな質問だった。分娩後の餌の増やし方等をを解説した。時間はPM6:40にまで及んだ。最後にモデル農家から、大変有意義な研修だったとの感想があった。具体的には、鹿泉の分娩後の変数飼料与え方が急激であった事や、基礎飼料としてのトウモロコシ茎葉サイレージの栄養価が想像以下だった事など、自分達の考え方との違いの発言があった。 7時ホテル着、PM7:30から9時過ぎまで食事。今晩の食事は、第一回目からのハプニング続きの懐古談義となってしまいました。中でも前回7月の東京ホテル事件が最大の話題となりました。

2000年09月25日(月)

  起床AM4:30頃。岩瀬先生は早朝より中国語をCDでお勉強。私は、チョットインターネットにチャレンジと思いきや。まったく接続不可能でした。葛さんにホテルに問い合わせてもらったら、部屋からの電話使用は交換機の設定が必要なのだそうで、設定は7時以降でなければ出来なかったので諦めました。岩瀬さんの中国語もネイティブ・スピーカーの登場で発音が生き生きとして来たような?7時より朝食、7時45分ホテル出発、8時から打ち合わせを行い、その後繁殖チームとサイレージ詰め込みチームに分かれて行動しました。日本からのビニールは絶望的なので現地調達することになり南銅治村の材料屋さんから7m幅で100mのポリエチレンを650元で購入しました。開いて見ると円周7mの筒状の製品でしたのでシート状に切って李建明さんのサイロをモデルに、側面を2m以上被覆し上面を両側から2重に被覆出来るようにセットしました。更に余った製品で張景風さんのスタックサイロの詰め込みの中間位置に水平に間仕切りを入れました。取り出し断面積をなるべく小さくする工夫ですが、よい結果を期待したいです。 12:00から三鹿乳業で昼食。王社長等と談笑。PM2:30から再びサイロチームは、筒状の形状を生かし一方を結んで直径2.2mのバックサイロにチャレンジしました。さすがに当初設計の1.5mの高さ迄の詰め込みは時間と労力の関係で途中で止めて開口部を結んで試作品としました。午前中の作業の進捗状況も気になりましたので、李風秋さんのサイロを見に行きましたら、どこも水分調整の加水作業をしてませんので尋ねたら、断水でした。水分不足でカビが発生するのか、よいサイロになるのか開封後の品質が気に掛かります。 繁殖チームは、午前も午後もタイムリミットまで頑張っておりました。ようやくPM7:00現場から三鹿乳業に帰ってきました。 PM8:00より夕食。朱光副市長には、ビニール密輸事件の後処理などを休日返上で動いて頂き、更に当初河南省に在るルーサン・ヘイキューブ工場の所在確認、最終日にそこへの視察及び買い付けが日程的に不可能であるとの結論が出た時に、距離的時間的に視察可能な河北省内のルーサン・キューブ工場を探し出して頂きました。この新しい状況の中で飼料給与改善案も、より二本立給与法を正しく伝え実践できる条件が揃い、夕食事にルーサン・キューブを加えた給与メニューの提示と、将来的に鹿泉市におけルーサン栽培の可能性を探る経済的指標の提示を小沢さんと、斉藤さんから、今回訪問の総括として披露することが出来た。その後部屋の帰っても、よる遅くまで、朱光副市長、王社長等も情熱的に我々のプロジェクトに対する期待と、これからの開発計画に付いて議論していたようです。越後谷先生を除く我々交流チームにとって鹿泉市最後の夜は、とても感慨深いものが在りました。2月から参加したプロジェクトが成功すると共に、この波紋がより大きなうねりへと成長する可能性が有る予感が感じられた夜でした。

2000年09月26日(火)

岩瀬先生の起床時間は毎日AM4:30なのでしょうか。中国語の練習は毎朝の日課なのでしょうか? 7時朝食。その後7:45には、ヘイキューブ工場視察チームの小沢さんと斉藤さんは、朱光副市長、通訳の張孝安さんと共に出発しました。私達も、三鹿乳業に向かいました。9時まで、岩瀬先生が張景風さんと王衆文さんに薬品や器具について確認や注意事項の伝達を行いました。その後、王衆文さんの牛舎に行き、牛の治療をした。どの牛も腹が巻いており、粗飼料不足は勿論、全体量の不足が伺われた。その後、董志英さんと李慶珍さんの住宅を見学してから張景風さんの牛を診療した。住宅の空家を借りて牛を飼っていましたが、忙しいのでパドックは牛糞で溢れてました。牛のサイズは有りましたが、餌不足のようでした。ルーサン・キューブの投入により乳量アップと繁殖成績の改善を期待したいところです。その後彼の居宅で休憩して三鹿乳業に帰り昼食をとりました。王社長と、三鹿の獣医さん等指導者の2本立給与法のマスターへの我々の期待や、日本の農業共済制度 とその問題点等の岩瀬先生のお話であっという間に時間が過ぎました。1時半まで休憩して石家庄駅へと向かいました。一人になった越後谷先生が気に掛かりますが、とても明るく振舞っておられました。三鹿の仲間達の暖かさに囲まれ、心細い思いをすることは無いと思いますし、越後谷先生もきっと我々チームの代表として、親しみと信頼を伝えてくれると思いました。 PM1:40石家庄駅に着きました。岩瀬先生と30分駆け足で、駅周辺をぶらぶらしましたが、さすが河北省の省都と言うだけ有って賑やかな繁華街でした。 PM2:48石家庄駅発の特快に乗車。過去2回は、何れも2階席でしたが今回は1階席です。列車に乗ると岩瀬先生も葛さんもあっという間に爆睡モードでした。本当にお疲れ様でした。 運賃は40元でした。北京西駅着友誼賓館にてチェックイン。後から合流チームの分を含めて2000元の仮払い金が必要との事でした。私は入国時に空港で両替しておいた700元しか有りませんでしたが、岩瀬先生が千数百元の手持ちが有った為、葛さんにも助けて頂き、無事部屋に入る事が出来ました。斉藤・小沢チームがまだ到着してなかったので、前回食事をした。表通りのレストランで夕食を取る。バドワイザー・アイスはとても軽くて冷たくて美味しかった。軽い食事と最後に食べたミニラーメンがジャストサイズでした。その後10月1日の国慶節を前にした夜の天安門を散歩する。路線バス808線に乗って1時間近くしてようやく天安門の前門西大街で下車した。 若いカップルのラブラブ・シーンが目の毒でしたが、涼しさがとても気持ち良く、花壇も綺麗に手入れされておりました。毛沢東の肖像画はお掃除のためか?外されておりました。帰りは時間が遅いのでタクシーでホテルに帰りました。 小沢・斉藤チームは、とても素晴らしい経験と収穫があった様です。

2000年09月27日(水) 帰国しました♪

朝、小沢さん・岩瀬先生と葛さんのガイドで北京大学まで散歩した。人民大学と人民大学付属高校の隣には、世の教育ママさん必見の学習教材屋さん等が並んでおりました。道路改修工事の為タップリと散歩が楽しめました。中華村ってのが、秋葉原と筑波学園都市とシリコンバレーを一緒にしたような所とは知りませんでした。又来る機会が有ったならユックリと見たい所です。朝食の後、例によって、何時ものスーパーでお買い物でした。空港のレストランで軽い昼食を済ませましたが、空港はお土産ばかりか全ての物価が一桁違いそうでした。無事、NH906に塔乗。岩瀬先生宅でお茶をご馳走になってから、帰宅。

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3回目の交流会となり、鹿泉市の人達とも親しくなって漸く心が通じてきた様です。農業には、技術革新は似合わないと私は考えます。バイオテクノロジーやインフォメーションテクノロジーが横行しても、現場では昔ながらの作業が続きます。私は田舎が好きです。都会も好きですが、鹿泉に来て、地元に帰って何をすべきか考えさせられました。就農当時の自分を現地で思い出しましたが、彼等の進むスピードは我々が20年かかった事を恐らく4,5年で達成してしまうでしょうし、 我々も過去へは戻れません。農業は、他の産業と違い根本的に極端な生産性の向上が不可能な産業ですので、WTO加盟後の経済社会ルールにおいては、アメリカ的な輸出戦略に対応可能な極僅かな部門以外では斜陽の方向に向きつつあります。既存の農業と農業技術を否定する物では有りませんが、農民だけでなく国民全体で考えなくてはならない日本の農業が有る筈だと思います。 今この地に来て改めて自分の道を考えた時、「自分は、自分である」と言う事でした。これからの人生を、自分である続ける事が、自分にとっても、家族にとっても、地域にとっても、我家の訪れる多くの若者にとっても貴重な意味を持つと信じて生きる事こそが、私の人生の存在感であると考えさせられました。  



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