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全酪連会報1999年6月号 掲載記事

酪農経営 諸国 「見て歩紀」

日本酪農発祥の地で、自然体の酪農体験を提供

No.71 千葉県安房郡丸山町 尾形牧場

 丸山町は房総半島の先端部に位置し、南北に細長く伸び
た町で、南東部は太平洋に面している。
 人口5,865人。そのほとんどを策一次産業と第三次産
業が占める農業と観光の町である。


 町の北部に位置する千葉県嶺岡乳牛試験場は八代将軍吉宗公
がインド産といわれる 「白牛」を輸入し、飼育した所で日本酪
農発祥の地として、千葉県の史跡に指定されている。
 また、近年では四季折々の花が楽しめる 「ローズマリー公
園」や、それに隣接してシェークスピアの生家を忠実に再現し
た「シェークスピアカントリーパーク」などの観光スポットも
でき、その設計の緻密さはイギリス本国でも話題になった。
 尾形牧場の家族構成はご主人の茂さん(四十五歳)、妻、法子
さん(四十四歳)、茂さんの母、百代さん(六十八歳)、長女、裕
子さん(高校一年)、次女、恵子さん(中学一年)、長男、聡一君
(小学六年) の六人。
 経営規模は経産牛三十五頭、未経産牛六頭、育成牛十九頭。
平成十年度の生乳生産量は二十九万`で、経産牛一頭あたりの
平均は八千三百`。牧場の運営は茂さん、法子さん、百代さん
の三人で行っている。
 尾形牧場は茂さんの父が二頭の牛を導入し、会社勤めとの兼
業で始めた。酪農専業になったのは茂さんが後継者として経営
に参加することが決まってから。当初、十六頭牛舎に規模を
拡大、十年前に現在の規模にした。

[田舎暮らしの誇り]
 平成七年、最新技術の粋を集めて建設され、完成間近の東京
湾アクアラインと、その先の房総半島を横断した農村地帯にす
む人々の生活を対比させ、本当の豊かさとは何かを問うという
内容のテレビ番組で取材を受け、尾形家の子供たちが生き生
きと牛舎の仕事を手伝う姿や、家族団欒の食事の様子など、い
つもと変わらない尾形牧場の光景が放映された。竹下景子さん
のしみじみとしたナレーションと共に見た映像は、照れ臭くも
あったが「こういう暮らしも今の時代には誇れるものなのかな
あ」と感じたそうだ。三人の子供たちもそれぞれ学校でこの番
組を見て、家の仕事を手伝うことに自信を持ったようだ。
 その後、長男の聡一君が小学三年のとき、茂さんがPTAの
役員をしていたこともあり、地域の産業を体験する課外授業の
一環として、学年全員が尾形牧場で体験学習をした。夢中に
なつて汗をかきながら世話をする子供たちの姿を見たり、作業
の後配った暖かい牛乳を牛乳が嫌いな子までがおいしそうに飲
んでいる姿を見て「いいもんだな」と思ったそうだ。それまで
にも子供たちのクラスメイトで酪農に興味を示す子供たちには
積極的に牧場を開放していたが、同じような時期にそんな事が
続き、「何も無い穏やかな時間の流れと、動物とのふれあいが、
地元の子供たちばかりでなく、都会の消費者や、酪農を知らな
い若い世代のために少しでも役に立つのならば」と本格的に体
験者を受け入れることにした。
 そして体験受け入れの告知を「おがた牧場のホームページ」
にのせ、アクセスしてきた体験希望者を受け入れることにし
た。こうしてホームページと酪農体験を柱とした尾形牧場と消
費者との交流がスタートすることとなつた。

[自然体が一番の基本]
 尾形牧場はいわゆる観光牧場型の体験牧場ではない。あくま
で「田舎の農家暮らし」を提供することが目的である。体験は
無料。その代わり労賃も支払わないし、家族と一緒に農作業や
食事をし、特別な用意はしない。なによりも無理をしない自
然体での受け入れを一番の基本としている。そしてその受け入
れ期間を短くても一週間としているのは、表面的な体験だけで
終わらせたくないからである。
「今流行のグリーンツーリズムや教育牧場というのは、作られ
た枠の中で形式的な体験をしているだけのような気がする。
ただ動物に触って体験したからと言って本物を知ったというこ
とではないと思う。表面だけでなく心も感じてもらえたらと思
う。お金のやり取りがあればそこには利害関係が発生し、お互
いに無理が生じてくる。ありのままの農家を体と心で感じとっ
て欲しい」というのが茂さんの考えで、コマーシャルの洗練さ
れた牧場のイメージとは違う、形の無いものを体験するという
のもよいのではないかと今後も特に設備を整えたり、スタイル
を変更する予定はないとのこと。
 「酪農体験だけではなく、社会の失われた根本的な人間の生
活というものを農家では教えることができるのではないかと思
う。このスタイルでやっているのもそういうところで貢献でき
ると考えているからだ。受け入れるこちらとしても無理が生じ
ないで心の交流もでき、長く続けられる形だと思っている。
やってみたいという心と、それに応えたいという心、二つの心
の交流があってこそ、体験牧場の意味があるのではないかと思
う」とあえて形を整えない理由を話してくれた。

[体験期間が長い理由]
一人の体験者を長い期間受け入れて支障はないのですかとい
う問いには「まさか。かえって助かってますよ」との答え。驚
いたのは尾形牧場では体験三日目にはミルカーをつける作業も
任せてしまうことだ。「できそうなことは何でもやってもらっ
て、線は引かないようにしている。うちのような家族経営の酪
農家ではそのぐらいの融通がきいてもいいと思っている。私は
地域の活動で留守にすることも多いのでかえって世話をしてく
れる人が増えて牛にとってもいいのではないかな」と笑う。直
接これがいいと教えるのではなく、来てもらって、体験者に
とっては非日常的なことを自然な形で体験してもらい、その中
から何かを感じてもらいたいので作業の限定はせず、家族と同
じ事をしてもらう。そうするうち体験者に気持ちの変化が生じ
るようで、自分の家族への想いが強くなり、『家族』のよさも再
認識して帰っていくとか。
 実際、体験を終えて帰って行った人たちとは今も家族ぐる
みの交流が続いている。体験期間中に生まれた雌子牛には体験
者の名前をつけ、その子牛が成長して母牛となるのを楽しみに
している人や、尾形牧場での生活をさっかけに酪農ヘルパーに
なろうとしている人もいるそうだ。
 「普通の農家である我が家での消費者との交流の試みだが、
私たちには大きな収穫があった。全く未経験の農家の仕事に
汗を流して一生懸命手伝う姿は子どもたちにも貴重な勉強に
なったし、なによりも皆さんの明るい笑顔にエネルギーをもら
い、改めて酪農や家族のよさを感じた」との言葉のとおり、通
り一遍の体験では感じられない受け入れ側のメリットもある。
茂さんは体験牧場を始めて改めて「本当に豊かな暮らしとは家
族で助け合って働いている農家にあるのではないか」と思った
そうだ。

[ライフワークとして]
 ホームページ上での消費者交流から体験牧場へ、そして現在
は千葉県酪連指定の消費者受け入れ牧場や(社)中央酪農会議のス
タンプラリーにも参加し、交流の輪を広げている尾形さん。今
後については「きっと牧場生活を体験していただいた皆さんは
私たち日本の酪農家のよき理解者として応援してくれると思
う。私も気負わず、田舎生活を提供できる場として体験牧場を
続けていきたい」とこれまで同様、気負うことなく自然体で、
ライフワークとして体験牧場を続けていきたいと語った。
 本当の豊かな生活とは何か。決して物が豊富にあることだけ
ではない、心の豊かさがあってこそ成立するものなのではない
かと感じた尾形牧場であった。


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