房総の由来

 
 館山市の神戸(かんべ)地区大神宮にあります「安房神社」は上の宮、下の宮2つの社からなり、上の宮は「天太玉命」(あめのふとだまのみこと)、下の宮は「天富の命」(あめのとみのみこと)、を主祭神としております。この2つの神様は「忌部」(斎部、いんべ)という部族を率いた神様で、歴史家の研究によりますと、この忌部一族は南の国より船旅を続け日本に渡ってきた氏族で大和の国(奈良県)を本拠地としたそうです。また、忌部一族は非常に技能に優れた集団であったと言われます。
 奈良より伊勢(三重県)、出雲(島根県)、紀伊(和歌山県)、阿波(徳島県)へと移り住み、それぞれの仕事に精を出し、伊勢の忌部氏は金融業、出雲の忌部氏は装飾業、紀伊の忌部氏は建築業、阿波の忌部氏は製紙業、紡績業を司るその道の元祖でした。
 「天太玉命」は、忌部氏を率いた神様で産業の祖としてあがめられています。その孫にあたるのが「天富の命」で神武天皇の命をうけ、いまより約2660年前、阿波忌部氏を率いて海路黒潮に乗りたどり着いたのが館山市布良(めら)という所です。「天富の命」は、この地に祖先である「天太玉命」を紀りました。これが「安房神社」のはじまりと言われています。

 「天富の命」率いた阿波忌部氏は、この地に阿波の国で栽培されていた、布と紙の原料となる麻と殻(かじ)をもたらしました。その麻のよくできたところを総の国とし、殻のよくできたところを結城としました。総の国はその後、安閑天皇のとき上総の国、下総の国に分かれ、結城郡となり、阿波忌部氏の移住した本拠地を「阿波」と名づけました。その後「阿波」が「安房」(あわ)に改められたのは天武天皇の頃になります。
 房総の2文字は、それぞれが麻を意味するもので、「ふさふさと良い麻が繁る」という意味をもっているのだそうです。また、房総半島は黒潮文化圏の北限ともいわれ、海洋でも「サンゴ」が繁っており、ホテル前にありますダイビングスポットでもいろいろな種類のサンゴが繁盛にみられ、これらサンゴ圏の北限とも言われております。
 現在の安房神社の宮司さんは「天富の命」より数えて70代目位にあたるそうです。
余談 当ホテル近くにあります洲崎神社は「天比理乃咲命」(あめのひりのめのみこと)を祭神、一説には安房神社の奥さんを御まつりしているそうです。また、神戸地区の神戸とは、神に仕へる人々の集落と言う意味で、戸数が多くなったので移住させてできたのが神余(かなまり)という地区です。現在の安房は館山、鴨川等2市、9町村で構成されており、四国、紀伊半島にある地名と、房総半島にある地名と同じ地名が数多く存在します。
 安房神社の森は渡り鳥の休息をはじめ、餌や水を補給するまたとない地点として、古くから野鳥達に親しまれてきた森でもあり、特別鳥獣保護区にもなっています。隣接の館山野鳥の森資料館で、また遊歩道、探鳥道でそれらの観察をする事が出来ます。さらに、自然環境にすぐれた森林はレクリエーション等保健休養の面から「日本森林浴の森百選」に認定されています。

平成13年(2001年)2月