ジョン・海山・ネプチューン ジョン・海山・ネプチューン メニュー ディスコグラフィー フォトアルバム 竹竹 スケジュール レビュー歴 尺八創り オーダー
ネプチューンphoto1 ジョン・海山・ネプチューンは尺八の達人として広く知られ、日本ではおなじみの存在だ。カリフォルニア生まれの彼は、ジャズ・アーティストとして、また作曲家としても確かな腕をもつ。その多様で洗練された音のメルティング・ポットは、西洋・東洋のどちらでも高く評価されている。

ネプチューンは1951年11月13日カリフォルニア州オークランドに生まれ、彼が2歳の時一家はサン・ディエゴに引っ越した。高校時代トランペットを吹き、その後ロックバンドでドラムスを叩いていた彼は、ハワイ大学に進んで民族音楽科に籍を置く。「インドのタブラを勉強したかったんだ」とジョンは振り返って言う。「でも当時のハワイには教えてくれる人もいなくてね。第二希望が尺八だった。尺八のごく高音部はフルートのような音なのに、低音ではサックスさながらの枯れた音が出ることに魅了されたんだ。それがなんと五穴の竹笛と知って、やみつきになってしまったよ。」

1973年に、ジョンは尺八の勉強のため京都に短期留学している。民族音楽の学位を修めるべく一旦ホノルルに戻ったが、卒業後の1977年、改めて京都に居を移した。その後数年間の精進を経て、尺八都山流師範免許と共に雅号「海山」を授与される。 以来、ジョン海山ネプチューンのアーティストとしての探求しして拡がりはコンテンポラリー・ミュージック界に確かな軌跡を刻んできた。当初から一貫した強みは、世界のさまざまな音的背景と尺八と組み合わせである。そのキャリアを振り返ってみよう。出世作となった第三作「バンブー(竹)」。この作品で彼は文化庁の昭和55年度芸術祭優秀賞を獲得した。ジャズ・アルバムの受賞は前例を見ず、外国人アーティストとしても初の快挙である。ネプチューンphoto2
1980年代を通して、ジョン・海山・ネプチューンは尺八と他楽器の出会いをテーマにツアーとアルバム制作を続けた。初期の出色作「ミックスト・バッグ」や「ウェスト・オブ・サムウェア」では、ジャズ的なリズム・セクションに再傾倒している。これらのアルバムでは、ドン・グルージン、ロベン・フォード、ネイサン・イースト、アブラハム・ラボリエル、アレックス・アキューナ、ケニー・カークランド、バスター・ウィリアムズ、コーネル・デュプリーら、そうそうたるミュージシャンが名を連ねた。

ジャズ・フュージョンという初期の試行錯誤の後、ジョンは西洋と日本の音楽の影響を基調に、世界の多様な音楽文化に着想を得たアコースティック・アルバムを作りはじめる。「ダンス・フォー・ザ・ワン・イン・シックス」(82)「サークル」(85)では尺八・ピアノ・ベースと、インド楽器、邦楽器の出会いを試みている。1987年の「Jazzen」も同編成だが、ラテン系パーカッション、ビブラフォン、マリンバの起用により、ラテン色が濃くなっている。

ネプチューンphoto3 1991年、ネプチューンは琴3名とパーカッション2名からなる異色のバンド「トウキョウスファー」を結成。レコーディングとツアーを行った。 この竹笛の達人は1992年作品「カイト」でクラシック・ギターのゲオルグ・ラヴァルとモダン・ストリング・カルテットを共演に迎えた。ドイツのオーベルレンニンゲルの教会で収録されたこの作品は「ビルボード」「スイング・ジャーナル」両誌で絶賛された。旧来の邦楽の枠組にわらわれず、ネプチューンは前人未到の思いもよらない風土の中に尺八を携えていく。

「リバー・リズム」の制作ではインドのマドラスに赴き、インド楽器と現地ミュージシャンと組んで異国情緒豊かな音を創りだした。「前々から、尺八の音色はインド的風土にぴったりはまると思っていた。こういうアルバムができると確信するに至るまでは、単に時間の問題だった」とはジャンの弁。「作品全体からマドラスの魔法の濃厚な空気がたちのぼるというか……。」まさに魔法である。タイトル曲は尺八の伝統的特徴である流麗な旋律に大きく頼り、ルイ・プラガサムのスムーズなバッグビートに支えられている。一曲ごとに様々な楽器を用いた工夫が見られる。ユダヤ琴がむせび泣き、ハープの響きは涅槃を思わせ、調律した水グラスが踊る。海山ネプチューンの「リバー・リズム」はワールド・ミュージックの鼓動だ。ブルースとニューエイジとジャズの芳香が複雑に混ざり合い、インドの旅へと聴く者をいざなう。



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