八幡祭礼(やわたんまっち)

 

【八幡祭礼(やわたんまっち)】

毎年9月14日・15日の両日鶴谷八幡宮を中心に行われる、安房地方最大のお祭り。
初日のハイライトは、正午すぎ。八幡宮境内にある長宮にみこしを納めるため、市内を練り歩いていたみこしが、次々と集まり境内で勇壮さを競い合うようにもみ合う。
二日目の見どころは、山車・お船が境内に集合する午後3時ごろから。このころになると、祭も最高潮。五台がそれぞれ祭りばやしを競い、若者たちの熱気があふれる。山車が神社をでると、続いてみこしの”ご還御”の番。一晩、八幡宮で過ごした十社の神々と八幡宮の神は、古来の順序に従い白張をまとった若者たちにかつがれ、境内を右へ左へ。ライトに照らされるみこしは、飾り物がキラキラと輝く。境内は足の踏み場もないほど見物人でごった返し、勇壮なみこしの”競演”に見入る。

               《千年近い伝統の祭礼》

三芳村府中に、元八幡神社と呼ばれる小さな神社がある。鶴谷八幡宮は平安時代中期、この地に創建されたと伝えられる。
近郷近住の主だった神社にまつたれた神の分身をまつって「安房国総社」とし、国司が参拝したという。さらに同神社には安房、州宮、下立松原、手力雄、山宮、山荻、莫越山、木幡の八神社もまつられていた。この八神社を六所と呼び、十四日には六所祭が行われて、それぞれのみこしが三芳の総社に集まった。八幡祭礼は、この六所祭が原型で、十五日の八幡宮礼大祭が一緒になったものという。いまでも、十四日に元八幡神社に残る井戸から水をくみ上げて神前に供え、この日に拝殿で六所祭が、翌十五日には八幡宮例大祭の儀式がとり行われている。
鎌倉時代に、八幡大神を氏神としていた源氏によって、現在地に移され、社名を「八幡宮」に改称。その後、昭和五十三年に現在の名前となった。
高皇産霊神社は江戸時代、小安神社は昭和四年から祭礼に加わわるようになったという。
八幡祭礼はもともと、みこしが出祭するまつりだった。江戸時代に手刀雄神社の官氏が書いた日記「放生会之記」では、すでに「付け祭」として、山車が加わっていたことが印されている。当時はみこしと山車が十五日に、一緒に”御浜出”をしていたらしい。日記では天保十年の祭礼の際、山車とみこしのけんかがあり、御浜出が中止となった。このため、祭礼翌日の十六日に、関係者によって手打ちが行われたが、それ以前にもたびたびけんかがあったようで、みこしが長官にいる間に、付け祭りをすませるようとり決めたという。