高皇産霊神社の歴史と高井

− 明治時代 −


  明治維新当時  高井村    4,136,700石(58軒)
           桑原村      484,210石( 8軒)
           古川新田村                 (館山市史)
   
  明治3年  高井村と古川新田村合併  (ルック館山)
 

明治5年に、高井の善浄寺で高井・湊・古川新田の地区で小学校が始まる。(館山市史)
高井の善浄寺は鎌倉時代末から南北朝時代の木造地藏菩薩立像を本尊にしています。
他に中世の五輪塔の断石が散在する薬師堂があり、境内に幕末の医師高木抑斎の墓がある。高木抑斎は高井の住民だったそうです。(ルック館山)
上記のことから考えると、高井の神社とお寺は、鎌倉時代末から南北朝時代の間か、あるいは、江戸時代後期までの間に現在の場所に遷座したものと考えられる。

  
 
明治6年  村社に列格
 
明治10年 高井村と桑原村合併  (館山市史)
 
明治22年 北条町と高井村合併  (館山市史)
 
明治25年に2代目の神輿を丸山町の神輿職人に製作してもらう、その時大人の神輿と子供の神輿を2基購入している。資料によると彫刻は、三代後藤義光と描かれているが、3人の手により彫刻されている階段の部所の波に兎が後藤義光の彫刻かも?(神社の資料、みこし祭りの資料)