天下人の秀吉と家康の時代に館山市の基礎を築いた館山城主里見義康の墓。 慶長8(1603)年11月16日没、31歳。 法名は龍潜院殿傑山芳英大居士。宝篋印塔の裏に建つ「当山開基」の標柱と周囲の石垣は、 明治42(1909)年の里見氏墓域整備のときのもの。 右側に建つ句碑には整備に関わった正木貞蔵(号月舟)の句が刻まれている。