鹿島堀は館山城の外堀で、義康の時代に関ヶ原の戦いの功労で鹿島(茨城県)三万石を加増され、鹿島領民が構築したものと伝えられている。 幕府による館山城の破却で堀は埋められ一部が残るのみであったことから、 後世に伝えるため昭和19年に、鹿島郡出身の東京高等学校教授峯間信吉撰文による鹿島堀由来碑が建てられた。