私の少年時代

フナ釣り


あれは五月の連休の出来事でした。明を先頭に釣り竿や魚籠を持って、五人の子供たちが砂利道を
必至な顔をして全力で鵜住居駅に向かい走っている。しかしあと少しで駅という時に汽車は警笛を鳴
らし出発していった。何ということだ小さな駅の待合室に汗とホコリまみれた5人の子供が取り残され
たのだ。この午後3時の汽車に乗らないと、次の汽車は夜中の11時まで無いのだ、つい遊びすぎて
しまった。同級生の仁が大声を上げ泣き出した。ガキ大将は明だが、早生まれで仁の方が年上なのだ
。すると一級下の孝夫、良夫兄弟も2級下の豊も泣き出す。特に仁は父親が厳しく鉄拳が飛んでくる
のだ。小さな駅なので、何事かと駅員さんが出てきた。明が訳を話すと、駅長さんらしい人に話してい
すると駅長さんらしい人が出てきて、5時に成ると貨物列車が待ち合わせで止まるから、その汽車の
車掌さんに頼んで、車掌車に乗せてもらうことに成る。子供は元気なもので大泣きをしたことなど過去
のことで、駅前広場で遊び始めている。明は一人ゆうつな気分でいる。少しはホッとしているが、間違
いなく家に帰ればお目玉が待っている。他の4人は間違いなく明とフナ釣りに行くと親に言つて弁当
まで作ってもらっているはずで。自分も親に4時過ぎに帰ると言って許可をもらっていたのだ。それが
確実に6時半頃に成りそうなのだ。家の近所の駅から3つも先に乗って来ているから、少し遊びすぎた
と一人後悔をしているのだ。肝心のフナは1匹も釣れなかったが、その日は五月にしては真夏の
暑さで10時頃には釣りに飽きて皆な海でい泳ごうということに成る。鵜住居川の河口を明を先頭に対
岸に渡り、夏は海水浴場の渚で全員がフルチンで泳いで遊んだりしたのが、汽車に乗り遅れる原因
なのだ。とりあえず貨物列車に乗せてもらう、貴重な体験をして、ワイワイと自宅が見える街角を曲が
ると、何ということだ家の前に7〜8人の大人と駐在さんが来ている大騒ぎに成っていたのだ。無論
大目玉をもらい。他の親からは怒りの顔で睨まれ、自分一人が悪者に成っている。これもガキ大将の
さだめなのだ。この出来事は私が中学2年生の時でした。

釣りデビュー(カジカ)

小学3年の初夏4歳上の兄が突然、釣りに連れていくから、私にミミズを取ってこいと、カン詰の空き
渡したのです。シマミミズは家の裏に排水用のドブが有り、その辺をほじくれば、いくらでも取れるの
です。(今の時代は釣具店で買うのが当たり前)  時の流れですね。ミミズを取り兄に渡すと、これか
らカジカを釣りに行くから自転車の後ろに乗れと言いブリキのバケツを渡される。兄はいつ手に入れ
たのか4本つなぎの竿を持っていて、自転車で10分程の小さな橋まで行く。橋の上から川面まで2
メートルほどで7〜10cmのカジカ何匹も見えている。兄は釣竿を用いして餌のミミズを針に刺して
川に入れる。仕掛けには玉浮が付いていた。  川の流れに乗りミミズがカジカの上を通るが見向せ
ず通りすぎる、兄は半ば諦め私に釣竿を持たせてくれた。  私は嬉しくて何度もカジカの近くに仕掛
入れるが1匹も釣れず、1時間ほど経った頃、兄は帰ろうという。私は初めての釣りで、いきなりのデコ
を体験して空のバケツを持ち自転車の後ろに乗ることに成る。初釣行で初デコであった。
兄からは釣りはもとより、色々な遊びを教わることに成る。兄も隣近所の年上の悪ガキから教わってい
たのだと思う。  私の子供のころは3〜4歳年上と群れて遊んでいて、遊びの中で痛さを学び手加減
することを覚えたものです。当時4〜5年ぐらいから、ほとんどの子供が駄菓子屋から買った折りたた
みナイフを持っていて、近所の山に行き木の枝を取って来て、それでチャンバラをしたり、竹を取って来
それで釣りをしたりしたものです。木や竹を切る時に間違って自分の指を切り、刃物の危なさを知る事
になる。   わたしも群れて遊ぶ中で多くのことを学び、それが自分の一番得意な事に、つながり今も
役立っています。5年生の時に、あの憧れの4本つなぎの釣竿が、お下がりで私の物に成り独り立ちの
時が始まりました。

カニ  (母の笑顔)

カニと言っても皆さんが知っている毛ガニやタラバではなく、淡水系の藻屑ガニと沢ガニのことです。
藻屑ガニは中国で有名な上海ガニの仲間で、大きいので甲羅が10cm位有り、大きなハサミに藻屑
の様な毛が生えているのです。私が住んでいた所から子供の足で2〜3分で小川があり、この川に
梅雨時に成ると藻屑ガニが本川から上がってくるのです。3〜4年生の頃は雨が降ると外で遊べずに
退屈でしたが、小雨もょうの時は、傘をさし小川に偵察に行くのです。本降りだと水が濁りカニが見つ
からないからです。手前の石垣の上から川の中をのぞき、ゴミや石影を見ながら移動するのだ。
小川は深い所で20cmぐらいで物影のカニを見つけても危険な事がない所でした。カニを見つけると
急いで家に帰り、ブリキのバケツを持ってくるのです。大きなハサミに挟まれないょうに、注意しながら
力いっぱい、小さな手で甲羅を捕まえるのです。自分の手の甲より大きな甲羅を掴むのだから大変で
す、2回にい1回は逃げられていました。やっとの思いで捕まえたカニをバケツに入れ意気揚々と家
に帰ると、母親が大きなカニだこと、と何故か笑顔なのです。川の水では汚いからと奇麗な水と取り換
えるのです。翌朝起きカニを見て学校に行くのですが、2〜3日するとカニが居なくなるのです。私は
カニがいないけど知らないかと母に尋ねると、その辺に逃げていないかと言われて、なにも疑うことも
なく探していた。梅雨時に2〜3匹の藻屑ガニは全て家の土間で、毎回あのブリキのバケツから這い出
たと思い、一坪程の土間の隅々まで探していた素直な自分がいた。  (今でも鈍いところがある)

中学1年生の夏休みの始め梅雨に雨が少なかったのか、小川の水が殆どなく遊び仲間3人で川底に
降りたのです。水は石垣側に、ほんの少しチョロチョロと流れる程度でした。私は本能的に石垣の穴を
覗いたのです。すると穴という穴に、あの藻屑ガニ入っているのです。3人は急いで家い帰りバケツを
持って小川に帰ると、石垣の隙間に手を入れて、大きなハサミに挟まれないょうに穴から引っ張り出す
のだが、穴が狭いのでカニは正面を向いていると間違いなく、大きなハサミで挟まれる。3人で大騒ぎし
ながら捕まえていると、遊び仲間が聞きつけて一人二人と増えて川の中は10数人の子供で大賑わい
に成っていた。大人も2〜3人川に降りてきたが手が大きいためカニのいる穴に手が入らないのだ。
自分はいつの間にか、挟まれずに捕まえるように成っていた。結局15匹程捕まえた記憶がある。
2回に分け家に持ち帰ると、大きなバケツに移し替え、きれいな水に取り替えて入れてあるのでした。

カニを捕まえてから3日目の晩御飯の時、テーブル上は赤く、ゆで上がった藻屑ガニが、てんこ盛りに
出てきた。自分は食べられるとは思はず、ただ捕まえるのが楽しくてカニを取っていたが、まさが晩御飯
のオカズで出てくるとは思いもしていなかった。始めて大きなカニを食べるのだから父親が食べ方を
講釈するのでした。赤くゆであがったカニを持ち腹側を見せ、これがフンドシと言って大きいのがメスで
三角形小さいのがオスで、フンドシを外し次に甲羅をハガスのだと言う。エラは食べられないので取り除
き、両足持ち二つに割り食べるのだと。甲羅の中のミソとオレンジ色の卵は美味しいのだと食べ始める
のだった。家族全員無言で黙々とカニを食べたのです。カニがこんなに美味い物だと始めて知ることに
なる。  (それでもまだ、あの母親笑顔とバケツから土間に逃げたカニの行方は気がつかない)

沢ガニこのカニは余り良い思い出はない。4年生の春木の目が芽吹くころに兄と5〜6人で沢ガニを取り
に行ったのです。冬の期間カニは大きな石の下や土のなか深くに潜り捕まえられないのですが、春の
芽吹きの頃は浅いところに出てきて簡単に捕まえられるのです。大きいので10円硬貨ぐらいの甲らで
小さいので1円硬貨ぐらいまでを捕まえるのです。皆それぞれバケツや大きな空き缶と土を掘る柄のつい
たカッチやと言うのを持っていくのでした。特定の澤に行くのですが、入り口がヤブに隠れ解りにくいのだ
が代代年上の子から教えられてきた場所で多くの沢ガニが取れた。私は始めての澤カニ取りで30匹ほ
ど捕まえたが翌日から大変な事に成る。朝起きると顔は腫れ上がりチンチンはカユイし病院に行くことに
なる。漆にカブレたのだった。それから毎年春の恒例行事で中学1年まで参加していたが3回も漆かぶ
れで苦しんでいる。多い時で100匹ほど捕まえていたが代償がきつかった記憶しかない。

成人してからも、すっかり忘れていた、あのバケツから逃げたカニは母親の葬式のとき姉から教えられる
アキラが捕まえてきたカニは泥を吐かせた後に、お父さんの酒のつまみに成っていたのだと。  
本当に素直な子供でしたよ

小サバ (サンマ)  一人立ち

始めての魚は20cm満たない小さなサバで、4年生の夏の終わりごろでした。兄の自転車の後ろに乗せ
られ自宅から30分程の港に行き、サンマ漁の船が繋がれている岩壁の空いているところで釣りをするの
だが餌は現地調達で水揚げされているサンマを貰い3枚におろし短冊に切り餌にする。           
私の竿は兄が何処からかもらってきていた、3,5Mの3本継ぎの竿10cm弱のセルウキの付いたウキ釣
り仕掛けを付けてもらい釣りが始まる。多くの大人も5,4Mの竿でサバ釣りをしている。やはり遠めを狙う
大人たちは良く釣り上げている。子供ながらにくゃしく思う、4時間ほどの釣りで兄は8匹の釣果、私は初釣
果が小サバ2匹だが、あの縦横無尽に走り回る強烈な引きが、鮮烈に私の体に残ってしまう。帰りの自転
車後ろで肩に食い込む木箱重みより、今度はいつ行くのかと兄に聞いている自分がいた。        
この年は3回ほどサバ釣りに連れて行ってもらうことな成る。行くたびに釣果は2〜3匹。兄は良くて10匹
    20cm弱の小サバの釣果だが、現在のクラーボックス変わりの8リトルぐらいの木箱はサンマで、いつも
満タンに成っていた。                                                 
当時冷凍設備が余り良くなかったのと輸送が鉄道だったのでサンマが取れすぎてたので、市場の人も少し
ぐらいは大目に見ていたのです。釣り上げた小サバは母が軽くユデて天日干しにして、後で煮物の出しに
使っていた。サンマは晩のおかずで煮たり焼いたり、干物になったりでした。                 
一人立ちは5年生の夏の終わり、やはり小サバ釣りでした。釣り具は全て兄のお下がりで、あの木箱も私の
物に成ったのです。糸の結び方と、針の巻き方を教えてもらいサバ釣りに行くのだが(サンマ)。斜向かいに
家に住んでいる、同級生のヒトシが相棒に、いつの間にかなっていた。小柄な奴だったが少し欲張りで、私と
同じ様に子沢山の家庭だった。 時々私に対抗心を顕わにする時も有ったが、良き遊び仲間であった。
子ども用の自転車など無いので朝早く起きて1時間半ぐらいかけて歩いていくのだ。(私の兄は体格が良く
中1で170cm位有ったので大人用自転車に乗れた)帰りは例の様に木箱が重いのでバスに乗り帰るのだ。
しかし今に成って思うのは本当に貧しかったのだと思う。殆どの釣り人が多かれ少なかれサンマを持ち帰っ
てた。私もヒトシも次回も釣りに来るために、サンマの陸釣に励んでいたのだと思います。(バス代を貰う為)
私の小サバ釣りも6年の秋まで終わるのです。                                   

川ガキ   (夏休み)

夏休みは私にとってデズニーランドの様なものでした。宿題は殆どせずに毎日何をして遊ぶかしか頭にに
有りませんでした。特に魚突きは周2〜3回は行っていました。道具は簡素で水中眼鏡と1Mほどの竹の
先に5本刃のモリを付けたのだけで行くのです。いつも相棒はヒトシで徒歩で20分程の上流に行くのです
衣類は河原の草むらに隠し、海パン1枚で川に入るのだ。川の中をジャブジャブと上流に向かって歩くのだ
イワナやヤマメは習性で石の下や物陰に隠れるのだ。安心して隠れているイワナやヤマメをモリで突いて
行くのだ、30cm超えのイワナヤ、尺近いヤマメも簡単に仕留めることができるのだ。石に付いているアユ
もジャブジャブと行くと一度は逃げるが4〜5分で同じ石に戻ってくるので意外と簡単に突くことができるの
だ。良い時で7〜8匹のイワナ、ヤマメ、アユを突くのだが毎回の様に厄介な、おじさんに追いかけ回される
のだ。おじさんは川にアユを放流していて漁業権有るから有るので魚突きはだめだと怒るのだが、子供の
私たちはイワナやヤマメは自然に居るのだから関係ないから突いても良いのだと反論する。実はアユも取っ
ているのが事実。監視員のおじさんは知っているから、小一時間は追いかけ回されるのだが、毎回自分たち
が逃げ勝のだが、おじさんは服を着ているから、自分たちは対岸に逃げるのだ。そんなことが毎回の様に
有るのだが、私とヒトシは常習犯でスッカリ顔を覚えられていた。                         
                          
夏は川の水が少なくなるのでアユを手玉で、スクウ事ができるのだ。川の中に石を積みスダテの様なものを
造るのだ。流芯に一坪半ほどの追い込み用のプールを丸く作り出入り口は1か所で手玉の大きさにしている
そこから流れを塞ぐように下流に斜めに石を積みアユを追い込むのだ。自分より年上の高校生ぐらいの人が
造り、使わない時に一部壊れているところを修理して拝借するのだ。アユが多くいる時は10匹ほど取れるが
夏休みの終わるころには、余り取れなくなる。後半にアユをとりに行った時、年下の子を2人を追い込み役で
連れていった時のことです。下流から3人で罠に追い込んで行くのですが10匹ほどのアユを追いかけて行く
と3匹が罠のプール入ったのです。型も20cm超の良型です。自分は手玉を入口に、すかさず掛け年下の子
2人にアユが逃げないょうに囲いの上流側に立つように指示して、アユが玉に入るのを待つていました。アユ
は1匹2匹と入るのですが、今日は3人なので最低3匹欲しいわけで、アユは3匹一度に玉に入りません。ア
ユも短時間で学習するのですね。上流側には人がいるし、出口は3匹一度に入るのを待っている私の網が有
るし。そうこうしているうちに横から3匹とも飛び出てしまったのです。各局この時は1匹もとることが出来ませ
せんでした。後で欲をかかず2匹入った時に網を上げれば良かったと思っても後の祭りでした。       

この時期はウナギも手タマで取ることができるのです。ただし金テコが必要で自分の家には有りませんでした
それと見張り役を入れると最低3人出来れば4人がベストでした。夏は渇水期なので流芯に近いところの、普
段手で動かせ無いょうな大石をテコが有れば動かせるのです。大石の下に居るウナギを石を動かすことで追
い出すのです。ウナギは逃げる時は殆ど水の流れに乗り下流に逃げる習性があるのです。その為に下流に
3人の見張りがいるのです。私が一番の年上で力が強いので金テコで石を動かす役と下流に逃げるウナギを
追いかけ救う役と2た役をこなすのです。ウナギはアユやヤマメ用に敏捷で無いので4〜5M先を逃げていても
十分追いつけるのです。逃げるウナギの鼻先に玉網を入れると、すんなり入るのです。多い時で6〜7匹のウ
ナギが取れるのです。その中から中型のウナギをテコを持って来た子に1匹上げるのです。次回のために毎回
テコをもつて来る子には上げるのです。 見張り役は2回に1匹中型を上げるのです。            
残りは私が4〜5匹大、中、小その中の大を1匹を鰻屋さんに持っていき買って貰うのです。1匹200円で売れ
るのです。(現在の2、000円)ぐらい、残りは家に持ち帰り晩のおかずでした。貧しい我が家での、とんでもない
御馳走でした。                                                      
あの天敵の監視員の、おじさんには中3の夏アユの爆釣をした時に、助け船を出してもらうことになります。


イワナ  (秘密の沢)

中2の秋にはイワナ釣りを始めていた。本川ではモリで突くほど釣れないので、沢釣りを覚える。此のころ父親
の自転車を休みの度に乗り回すので、さすがに困り母が、かなりくたびれた自転車を、私しの為に貰ってきた。
この自転車のおかげで行動範囲が飛躍的に広がる事に成った。
得餌のシマミミズ(キジ)を持って5〜6か所の沢で試し釣りをすることに成る。自転車で1時間ほどの沢と2時間
ほどの源流部に1か所と良く釣れる沢を見つける事になる。1時間ほどの澤は本川えの流入口は涸れ沢で大水
が出たときだけ本川へ流れ込むので見落としがちな沢でした。本川から200m位の所から水量が有り各落ち込
みで20cm〜30cm弱のイワナが確実ヒットしてくるののです。落差5m程の魚止めの滝まで3時間程の釣り場
で滝から100m下流に有る渕は、此の小さな沢には似合わない程水深が有り、4,5m竿では届かない程の長
さが有る淵で、右岸は大岩で左岸は崖に挟まれてる所でした。この淵には35cm級の大イワナ1匹居るのです
が毎回掛けることが出来ないのです。下流から攻める時、流れに立ちこんで竿を出すと大イワナは大岩の下に
隠れ、釣れてくるのは20cm級が1〜2匹なのです。上流からは大岩の上からしか竿を出せないので肝心な所
まで仕掛けが届かないのでした。この澤は春木の目が芽吹たころと、新緑の季節と秋の終わりと年3回攻めて
1回の釣行で20cm〜30cm弱を15匹程キープできた。しかし大渕の大岩名魚は1度も掛ける事が出来なかっ
た。春先の1回目の釣行の時は魚の他に、他より一足早く取れる60センチほどの良い水ブキが生える所が有り
これも嬉しい収穫でした。  この澤は私は3年間攻めましたが1度も裏切られたことが無い不思議と良く釣れた
所でした。
2時間ほどの源流部の澤は春と秋の年2回の釣り場で、ここも良く釣れる沢でした3年の秋に攻めたときでした
順調に釣果を上げながら釣りあがつて行く。しかし思わぬ小場所大イワナがヒットとしたのだ。不意を突かれた
ので痛恨のバラシ(逃がした魚は大きいと言うが、間違いなく尺上)二度三度と仕掛けを入れるが、二度と針掛
りをしなかった。あきらめて上流に釣り上がると50m程行ったところで、思わぬ土産を大量に見つける。   
地の呼び名で白シメジと言うキノコが落ち葉の斜面に大量に生えているのだ。それを取るのは良いが入れ物が
無い。イワナを入れる竹魚籠と小物を入れるナップサックだけ、3分の1も入らない、ヤッケを脱ぎ袖と首を縛り
その中にキノコを入れて、ツタの皮をむき紐代わりに使い、背中に背負い持ち帰ることに成る。        
しかし今の時代では有り得ない秋に、お構いなしに産卵期のイワナ釣りを釣りをしていた。あの頃は禁漁などは
無かったような気がする。
イワナ釣りの帰りに、いつも家の近くの食品店の前を通ると(必ず通らないと、帰れない)店のオーナーが何時も
自分を見つけ飛び出てくる。魚籠の中をのぞき、何処で釣って来たのかと、しっこく聞いてくる。それが殆ど毎回
だから、誤魔化すのが大変だったのを思い出す。  同じころ良型のヤマメが釣れる川も見つけてヤマメ釣りも
始めることに成る。


ウナギ  (穴釣り、置き針、手作りのデ)

中1の夏休みのことです。近所の子供たちの中でウナギの穴釣りが突然流行ったのです。誰かが年上の子と
穴釣りに連れて行ってもらい、その時にウナギが釣てたので、流行ったのだと思う。7〜8人で何時もの川に
穴釣りに行ったのです。此の時もヒトシが一緒でした。妙見まねで造った穴釣り用の竿を持ち、1,5Mのタコ
糸の先にウナギ針を結び、餌は土手で取ったドバミミズを針いっぱいに付け、ウナギがいそうな石の下や土手
の石垣の穴に、そぅと差し込むのでした。しかし中々当たりが無いのです。そんな時土手の石垣の下でウナギ
をバラシタと1歳下のタダシが言うのです。たしかにタコ糸の先の針が有りません、その石垣の下にヒトシと
私とタカオが仕掛けを入れるのでした。すぐに私に当たりが有り、十分食い込ませて、思いきり引き抜いたので
す。すると鰻屋さん、サイズの良型のウナギが釣れたのです。そこまでは良かったのですが、それからが大変
私に釣られる事により、ヒトシが理屈に成らない理屈で、此のウナギはタダシが逃がしたウナギだからタダシ
の物だと言い出したのだ。確かに私の針以外に糸の切れた針を銜えているのだ、私もそんな事は関係ない
ウナギは自然の中にいるのだし、釣り上げた人の物だと言っても聞く耳を持たずに、頑強に屁理屈を言い張る
のでした。私も子供のころから、おしと良しで釣ったウナギを川に放し、タダシが釣ればと言えば良いものを。
ヒトシの屁理屈に負け、そのウナギを渡してしまったのです。しかし今思っても、あの時のヒトシの屁理屈は私
に釣られた悔しさと日ごろの対抗心が、もろ現れた時だと思う。しかし良き遊び仲間で有ることにはその後も
変わらなかったし、私は以後穴釣りは一人で行くことに成り、良い時は良型のウナギを3匹ほど釣り上げて居ま
した。穴釣りの面白さは体験した人しか解らない面白さが有ります。

置き針を始めたのは中2の夏でした。果報は寝て待てとばかり3M程のタコ糸に枝針を5本ほど結び餌のミミズ
を付けて、日暮れ時に人に見られない用に仕掛けるのだが、これが意外と難しくウナギが居そうな所に仕掛け
るのだが、意外と本命の良型ウナギが釣れないのでした。釣れるのは親指サイズや小指サイズの小型ばかりで
一度は40cm級のアメマスが掛ったり30cmイワナも掛ったことが有りました。夕方薄暗い中腰まで水に入り
仕掛ける割に良い結果が出ないので3回ぐらいで終わることに成るのでした。今思うのは餌がミミズなので恐らく
ウナギが来る前に藻屑カニに餌を取られて居たのだと思います。

ウナギ取りのデを造るのですが、キッカケは確か中2の夏休み前に、全校生徒で文部省推薦の映画鑑賞で見た
ウナギ取りのシーンで半分寝ていた自分の目が覚めるのでした。小学生の我が子のために母親が竹でウナギ
取りを作り、それを川に仕掛け良型ウナギを取るのです。竹を編み作り上げるところを、おぼろげにしか見ていな
かったので、後で後悔することに成る。映画の見た後は頭の中はデの事しかなく、家に帰ると早速作る材料を探
すのでした。使い古したスダレが1枚丸めて物置有ったので、それを使い作ることに成る。丸い円筒型にするた
めに中に入れるタガを作らなければならない。早速近くの山に行き竹を1本拝借して来る。その竹で10cm位の
タガ2個と12cmを1個作り、それにスダレを巻き付けて、後ろの部分は一部スダレを間引きして、すぼめて紐で
しばつて出来上がり。入口が大変でジョウロの口の様に、入口が広く奥に行くほど狭く、一度入ったら出られない
用に作るのだが、なにせ実物を一度も見たことが無いので試行錯誤で如何にか2日で完成させる事が出来た。
さっそく夕暮れに仕掛けに行き、翌朝早く起きて仕掛けを上げに行く。結果はウナギは入っていませんでした。
中に入れた餌は全て無くなって居たのです。その日の夜もう一度仕掛けたが結果は同じでした。結論は安直に
スダレを使ったことでした。竹が細い為にウナギが逃げ出していたのです。手抜きはだめですね。しかし此れで
懲りる私ではありません。すぐに近所の山に行き竹を拝借して来ると、60センチの長さに切りそろえ、それを割
る前の割りばしの幅に割り、面とりをし、内側の白い部分を半分ほど削ぎ取り、尻の部分を細く削り、その竹をタガ
に細い針金で1本ずつ編みこむのです。入口は奥に行くほどに細く成り、程良い弾力を残して窄めるのです。
本体の完成で一つ失敗が有り、自分では夜2時間の工作で4日がかりでの不満足な完成でした。しかし完成後
すぐに仕掛けに行き、翌朝早起きして(こんな時は不思議と目が覚める)期待して仕掛けを上げに行く、結果は
良型のウナギが1匹入って居たのです。その日の夕方にも仕掛けに行き、翌朝上げに行くと何ということか、デが
川岸の草むらに転がっていた。岸辺の草に流されないょうに、縛っていたので誰かが上げたのだ、ウナギが入って
居たかどうかは解らない。ガッカリはしたが、その日の夕に、また仕掛けに行く。今度こそはと朝行くと何ということ
だ、(デ)そのものが無くなっているのでした。中の獲物事盗まれたのです。おそらく前日の出来事も同じ人で、夕方
仕掛け場所を微妙に変えていたのだが、私が仕掛けるのを見ていたのかも知れない。おそらくウナギが意外と
取れるので盗まれて、しまったのだと思う。ガッカリして家に帰ると親がどうしたと聞くので(デ)が盗まれてしまった
と告げる。母親は私の捕まえてくるウナギを期待しているのだから同じようにガッカリしていた。しかし私もこの位の
事でメゲルことはなく。再度近所の山から竹を拝借してきて(デ)を作り始める。元来物を作ることが好きなのかもと
今思う。実物を見た事もなく、映画の中の1シーンで見たものを自分なりに解釈して3個目には納得の行く物が
出来あがりました。此れは良くウナギが入りました。良型が2匹入ることも有りましたし、今度は盗まれ無いょうに
かなり用心深く仕掛ける場所選びました。夏休みも終わる頃、仕掛けた後に夜に大雨が降り残念ながら3個めの
(デ)は流されてしまいました。その後4個目は作っていません。しかし我が家は貧しかったのですが私が捕まえて
来るウナギやアュやイワナ、ヤマメ、中3の頃にはアワビ、ウニや季節の山採を食べていたのだから、今思うと
全て高級食材ばかりですね。


アユ  (天敵の助け船)

アユ釣りは中3の夏から始めることに成る、釣りの師匠の兄が高校を卒業して遠方に就職した為に兄の釣り具が
全て私のものに成ったのです。あの5,4m竿を無論アユの毛針や4,5mヤマメ竿も全て私のものでした。7月に
暑い季節にアユ釣りが解禁に成り、大勢の釣り人がアユ釣りを楽しんでいました。  当時アユ釣りと言えば主流
と言えば、現在と違い毛針を使うドブ釣り主流でした。水深のある大渕に肩を並べるょうに釣り人が並び、6,4の
長竿の先に淵の底に届く長さの仕掛けを付けて、それをユックリと上下させてアユを誘う釣り方でした。ほとんどが
大人ばかりで子供は居ませんでした。なぜかと言うと遊魚(入魚)券が年券しか無く当時の金額で¥5.000ぐらい
したのです。  当然私は買えるはずもなく遊魚券なしで釣りをするわけです。5,4mの竿で大人の中に混じり腰ま
で水につかりアユを釣るのです。大人の竿より1mも短いので釣果は敵いませんが、大人が2匹釣ると私が1匹と
釣り上げるのです。すると大人たちは、からかい半分でおい坊主監視員が来たぞと脅かして笑うのでした。それでも
メゲズに止めず、20匹ほど釣り上げていました。もしかすると大人よりも釣果が有ったのかも知れません。なにせ
夢中で釣っていましたから。      

しかしアユ釣りは本当に面白い釣りです。その年の解禁から1週間後の事です。昼ごろに自転車でアユ釣りをして
居る人がいないかと見に行く途中の橋の上を走って要ると、17〜18cm位の魚が大群で泳いでいるのです。私は
目を凝らして見ると、ハヤでは無く、間違いなくアユなのです、何故こんな所にと思いながらヤヤしばらく様子を見て
いると、時々は虫を追いハネルのだ水深は1,5m程、川幅は20mぐらいで膝ぐらいまで立ち込めば、自分が思う
釣り型で狙えると思う。しかし何故こんな所にアユの大群が要るのに誰も釣らないのか不思議に思う、おそらく皆は
ハヤの群れだと思っているのかもしれない。   自分は、すぐに家に帰り、仕掛けを作り始める。  浮釣りで狙う
のでが毛針を6本サビキの様に結び「当時2本で250円ぐらい」今の価格で1本1,500ぐらいの針で作ったので
す。ウキはタラの木の芯を乾燥させたので作り(当時は発砲素材はない)タコ糸を通し下側に噛み潰しの1ケ打ち上
下1cm位の所にコブ結びを作り、下側に毛バリ仕掛け、上側は道糸を結で仕掛けが1時間ほどで完成する。  
ヨシオとユタカを助手として誘い釣り場に入る。やはり誰も釣りをしていない。夏なので日が長く午後3時ごろに釣り
始めたと思う。対岸の土手側では無く河原の方から釣ることにする。自分は右利きなので、そのほうが仕掛けの
振り込みが楽なのです。4,5mヤマメ竿を対岸上琉に振込静かに下流手前に引いてくる。自分の頭の中は仕掛け
が水面下10センチ以内に有る様に引くと、いきなりヒットする。それからはほぼ入れ食い、そのたびに河原に上がり
アユを外す。連れてきた二人の助手が魚籠に入れ、川の水に魚籠をぶら下げてアユを生かしているのです。時には
ダブルヒットやトリプルヒットなのです。1時間ぐらいすると対岸で2人りが釣り始める、気がつくと自分の隣にも同年
の代が竿を振っている。余りにも釣れるので気がつかないでいたが、橋の上には10人ぐらいギヤラリーがいる。
そのうちに一人の大人が・・・あの1番釣り上げている「ガキ」は入魚券を持って無いじやないかと言い始めた。自分
は橋の上の話している大人を見ると、なんと隣で話し掛けられて居るおじさんが目に飛び込んできた、何と言う事
だ紛れもなく何度も追い駆けられた、あの天敵の監視員の小父さんなのだ、自分の心臓はバクバクなのでした。 
しかしそれでも止めずにアユを釣ているのですが、完全に2足りの助手がビビリはじめて半ベソをかいている。  
するとさっきまで聞き役で、ただ私の釣りを見ていた天敵のオジサンが助け船を出してくれたのです。  無論監視員
の腕章を腕に付けている小父さんが、私に聞こえるように、あの子は入魚券を持っていると、私が知っている人の子
供でお父さんも釣りが上手いのだと。実は私の親は釣りをしないのです。2人の助手は相変わらずビビりまくり、早く
止めようと今にも泣き出しそうなのでした。助け船があって30分ほどで竿をたたむと河原を足早に後にしたのです。
助手には5人家族なので1人10匹ずつあげ、残りは私のものです。なんと60匹ほど釣り上げていました。    
今にして思うのですが、あの時の監視員の小父さんの気持ちは、 あの追いかけ回した川ガキが一端の釣り師に
成って居たのと余りにも良い釣りプリに、つい助け船を出したのだと思う。アユ釣り万歳


ヤマメ  (尺ヤマメ)

近くの何時も行く川では、ヤマメはアユ釣りの外道で2〜3匹混じる程度でした。だからあえてヤマメを専門に狙って
釣りに行くことは有りませんでした。  しかしある時、近所の貸本屋の小父さんから、耳寄りな情報を教えてもらったのです。(この貸本屋に中3の頃は入り浸っていた)   峠を越した隣りに小さな川が有り、その川は少し変わってい
る川で、中流から河口までは、普段水が流れていないけど、大雨が降った時などは河口まで流れて、その時にヤマメの親のマスが溯上するのだと教えてもらう。ヤマメが釣れるのは普段流れが消える当たりから、国道に掛る橋までの間で、それより上流はイワナとヤマメがポツ、ポツとしか釣れないと教えてもらう。   しかし峠越えでは、さすがに
行きに2時間、帰りに2時間では釣りキチの自分でも少し考えてしまう。汽車で行くと、此れまた駅と駅の中間に川が有り、歩きで1時間半は掛るのだ。色々考えていると貸本屋の、おじさんが大きな声で言えないけど近道が有るのだと
教えてくれた。   汽車のトンネルが有るから、其処を通るのだと、すると1時間もあれば充分だとのこと。ただし
くれぐれもトンネルに入る時は気をつけること。線路に耳を当て汽車の音を確認して出来るだけ早くトンネルを通過
することと、教えてくれる。    そこまで聞けば後は釣りに行くしかない。次の日曜日に朝一で家を出る、教わった通り1時間ほどで釣り場に到着、何時もの様に得餌のミミズを何時もの金袖6号朱付きに付け川が消える10メートル
程上流から釣り開始、話を聞き、ここに来るまでに自分の頭の中はヤマメの入れ食い状態で、腰の竹魚籠も腰に
食い込む程の多釣りを夢見ていたのです。しかし現実は厳しくて型は20〜25cmと良いのですが釣果は6匹ほどでした。川が消える200メートル程上流に、いかにも釣れそうな、この川に似合わない大渕が有るのですが、此処では
13cmの小物が1匹釣れただけで、すべてが期待ハズレでした。                             
帰りの足取りは重いのですが、自分が今まで釣り上げたヤマメの中でも大きい方で、無論自己記録超えです。  
自分が思い描いた程では無い川でしたが、何故かあの大淵が気に成り、一月後の暑い日に再度チャレンジする。
川が消える10m程上流から釣り始める。やはり大渕までに6匹程釣り上げて、今回は前回と違い一番上の流れ込
みから仕掛けを入れてみる。すると、いきなり浮にアタリ、合わせると強烈な引きで淵の一番深い所に潜って行く。
竿は4,5Mバカを50cmの仕掛けで、やり取りをする。自分の立ち位置は砂田まりで敵は対岸の岩壁の深い所に
潜つて行く。しかし水深は5M位の様なのと。岩がエグレて無い様で敵は同じ所でモコモコしているだけなのです。
無論竿は絞られ糸鳴りはしている。2〜3分経った時、突然仕掛けが軽くなつたのです。自分はハリス切れかバラシ
たと一瞬思ったのです。何と敵はそれ以上潜ることが出来ないので、空中に出て来たのです。2度3度とジャンプを
して針を外そうとしたのです。それが最後の力でした、自分はユックリと下流の浅瀬で玉網に入れたのです。   
35cmの大ヤマメでした。無論証明する魚拓は家族の腹の中です。しかし後にも先にも此の後の自分の釣りキャリ
アの中での一番大物です。   (バラシは数限りない)


カラフト鱒

18歳の頃、1年ほど北海道に住んでいたことが有る。住いは温泉で有名な登別の隣の駅幌別と言う小さな町で、
季節は秋の初めごろ、確か9月の初めごろでした。住まいの近くに幌別河が流れていて、この川が思いのほか水量
も有り、さも大物が居そうな川なのです。                                           
河口から1、5K位の所に橋が有り、その上から川面をのぞき、大物の影が見えないかと見たが20cm程の魚影が
2〜3匹見える程度でした。川は河川改修で、その橋から上流1、5Kの所にダムを建設中でダム〜河口まで直線 
的に改修されていた。   がっかりして帰る途中の三ヶ月湖が目に入る。何か居ないかと見ていると40〜50cm
のマスらしき魚が2匹、オスとメスの様で産卵前の様な行動をしている。すぐに帰り浮釣りの仕掛けで、鼻先に餌
を落としても反応しない。また家に帰りルアーを持って来て (スプーン)が2個持っていた。 やはり鼻先を引いても
見向きもしない。  摂りあえず家に帰り、如何すれば、あの魚を釣ることが出来るのか考えて出したっ結論は、何と
ギャング釣り、すなわちアユの掛け針が有ったので、それで引っ掛けることでした。 しかし当時のアユの掛け針は
今の様にイカリ型に出来てなく、全て一本のバラ針ですから、それを三本のイカリ型に巻かなくてはならないのです。
翌日朝から仕掛け巻きをして、一セットに五本のイカリ針を付けた仕掛けを二個作る。                
しかし少し不安に思う、なにせ少し針が魚の大きさに対して小さく細すぎる事でした。 それと自分の針の巻き方が
甘く、四〇cm級のマスの引きに耐えられず、抜けたり、折れたりするのではないかと思うのでした。        
昼食後二匹のマスらしき大物の居たポイントに、釣り人が居ないことを願いながら行く。 願いどうり誰にも気ずかれ
無かった様だ。 二匹のマスは無事に仲よく泳いでいる。私はタラの木の芯で作た浮きに仕掛けをセットする。  
ウキ下は水面下1m、何故かマスは水面下4〜50cm位の所を回遊してくる。竿は4,5mのヤマメ竿無論リール
など付いている訳もない。バカを50cm長くとりマスの1m先に仕掛けを入れ、ころ合いを見てシャクルのだ。     
3投めにヒット、強烈の引きでタメきれない、一瞬にしてバレてしまう。  仕掛けを見ると掛け針が1本は折れて、 
もう1本が伸びている。 仕掛けを取り換え再度釣り始める、すぐにヒットする、やはり強烈な引き、必死で溜める 
最初のヒットの時より少し引きが弱い、どうも小さい方が掛っているのと、掛りどころが良いみたいで少しずつだが 
寄ってくる。足下まで寄せ玉に入れると、私が今まで見たこともない鼻の曲がったマスなのです。しかし45cm位で
明かにオスのマスでした。もう1匹の大きい方のマスを釣ろうと姿を追うけど見つからないのです。          
そのうちに土手の上が騒がしく成り、大人の男たちがトラックからボートを下ろし始め、私の横から三ケ月湖にこぎ
出したのです。  さらに驚いたのは網を掛け始めたのです。私は釣りに夢中だったので気がつかなかったが、私が
狙っていた二匹のマスを後ろから見て、横取りをするために大掛りなボートまで持ち出したのです。 確かに魚は
誰の物でも無いが、少しさみしい気持ちになりました。  勿論私の釣ったマスの魚拓は腹の中なのは今までと同じ
出す。



メンバー(SUN磯クラブ)に興味の有る方へ。 SUN磯春の大会
優勝
館崎会員
SUN磯春の大会
2位
川村店長
恒例のSUN磯クラブ新春の大会が終わりました。
釣果としては、まずまずでした。優勝はクロダイで小林会員46.5p1.65s 2位がクロダイで川村会員、3位がメジナで堂前会長が入賞しています。

2019年SUN磯クラブ会員を受け付けています、年会費
8千円で会費は総て会員の皆さんの為に使われます、
新期入会希望の方はフィイシングワタナベにрキるか
来店した時に聞いて下さい。



オリジナル手作り浮き

黒鯛団子釣り用カヤ浮きを少量ですが制作販売し始めました。
今回はケミ使用も作っています。

サヨリ用の転倒浮きも販売しています。強風、微風用の2アイテム
が有ります。

カヤうきも、転倒浮きも幻に成っていましたが、お客様の要望で
少量ですが制作しました。希望の方は来店するか、通販にて
販売しています。





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